
日本海と江戸をつなぐ道
メルセデスで巡る旅、今回は長野県の上田市と東御市に向かいます。前回訪れた諏訪市から中山道を抜けて北国街道を通って向かいます。
北国街道の途中にある上田市の柳町は古くから宿場町として栄え、今もその面影を残しています。北国街道は、善光寺への参拝や、北陸の大名の参覲交代、佐渡の金や日本海の海産物を運ぶ道として重要視されました。
そんな古くから栄えた街を走る今回の旅のお供は、CLA 220 4MATIC Shooting Brakeカラーはジュピターレットです。前回に引き続きの長野旅、少し遠出となるので、快適な乗り心地と、安定した走りが頼もしい旅の味方です。
まず最初に向かったのは上田柳町の手前にある、東御市で、刀剣作家として活動されている宮入法廣さんの工房です。
古き技法と伝統を未来へ繋げる思いを伺いに尋ねました。
刀剣の魅力
宮入法廣さんの工房は東御市の市街地から少し離れた、美しい田園風景が広がる場所にあります。私たちが訪れた時はちょうど麦畑の穂が実り、風になびいてさわさわと音を立てていて、美しく心地よい季節でもありました。
工房へ到着すると、宮入法廣さんが優しい笑顔で出迎えてくださいました。刀剣作家ということで、厳しいイメージを持っていた私たちは、このあたりに広がる田園風景のようなゆったりとした優しい笑顔にすっかり魅了されてしまいました。
刀剣の世界は奥が深く、素人の私たちにはまだまだわからないことだらけなので、まずはいくつか作品を見せていただき、刀剣の種類や、簡単な工程を説明していただくことにしました。
日本の刀剣は五ヶ伝と言われる伝法があり、大和伝、山城伝、備前伝、相州伝、美濃伝、と呼ばれています。それぞれ特徴がありその技法を今に伝えています。
刀剣の魅力や鑑賞の仕方は、刀剣の姿(体配 たいはい)、刃文(はもん)、地鉄(じがね)を見て美しさや、技術を見極めるところにあります。
この鑑賞部位ですが、普通に眺めてわかるのは刀剣の姿だけで、刃文、地鉄は光の当て方で浮かび上がるのでなかなか難しいのです。簡単に言うと、地鉄は刀剣家が鉄を鍛える時の方法や技術によってできる文様で、刃文は土をつけて焼きを入れたあと、急速に冷却し、鉄の組織を変化させて作り上げるものです。この刃文を創るために用いられる細かな設計図も見せていただきましたが、私たちには一見これがどんな文様になるのかは全くわからないというのが感想でした。
見せていただいた刀剣作品はどれも美しく優雅といった印象でした。鉄という鉱物を、鍛えて鍛えて、不純物を取り払い、美しくまるで宝石のような、芸術品にまで仕上げた民族は世界中に日本人しかいないとのこと、この刀剣そのものが日本文化の象徴で、世界中にコレクターを生み出している意味が少し理解できたような気がしました。
宝石に値するほどの美しい鉄を美しい造形へ
刀剣の魅力を知る知識を少し教わった後は、工房で工程を教わりながら作業を見せていただくことにしました。
工房は真っ暗なのですが、綺麗に整頓されていて凛とした空気が漂い、足を踏み入れるだけで、少し緊張してしまうぐらいです。
まずは、原料となる玉鋼を見せていただき、実際触らせていただきました。
この玉鋼は、国の選定保存技術に指定されている「たたら製鉄」という日本古来の製鉄法により作られます。中国山脈で採れる砂鉄を原料に木炭を燃料として、村下(むらげ)という技術者が三日三晩寝ないで生産される玉鋼は、日本刀を作るためにだけに生産されているそうです。
この玉鋼をまず、少しずつ潰し割ったものをパズルのように組み合わせ,炉に入れて加熱し、叩き、一つの鉄の塊へと変えていきます。そして伸ばしたら半分に折り、また叩いて伸ばすという作業を繰り返します。この作業を鍛錬といいます。この時の炉の温度は1300度から1400度に上がりますが、炉の状態は、天候、気圧、湿度などで微妙に変わるため、炉の温度と中に入れた鉄の状態の見極めが難しく、そのため工房を真っ暗にして、鉄の炎色反応による炎の様子が具に判断できるようにしているのだそうです。
この折り返し鍛錬により、最終的にその断面は三万層に達し、しかもその間に最初の玉鋼の重量から30%ほどに減ってしまいます。このようにして、澄みきった鉄へと精錬されてゆくのです。
鉄を鍛え上げたら、その後少しずつ刀の形に整えます。最後に刃文の焼きを入れる工程をして磨くところまで、まさに緊張の連続で気が抜けない作業が続きます。
刀を作るという作業だけでも緊張の連続ですが、この作業を行いながら前述した特徴を刻み上げていくのだと思うと、身震いしてしまいます。
宮入法廣さんの工房にはこの緊張感が染み付き、漂っているのだなと感じました。
自由な作風を求めて
高度な技術と芸術性を合わせ持つ宮入法廣さんですが、刀剣作家へまっすぐ進んできたわけではないのだそうです、もともとご実家も4代続く刀剣職人の家ですが、初めは陶芸家になりたいと、考えていたそうです。ご実家は職人色が強く、自由な「作品」を作れる環境ではないのではと思っての判断だったそうです。大学卒業の夏休みに、各地の窯元を巡っていた時に立ち寄った石川県で、刀剣作家で後に、宮入法廣さんの師匠となる、人間国宝の隅谷正峯さんに出会い、そのことが、やはり刀剣作家の道へ進もうと考えを変えることになったのだそうです。
隅谷正峯さんの工房は、今まで自分が実家の刀剣の工房で見てきた職人という感じではなく、作家としてのスタイルが感じられ、これならば自分はやっていけると考えたからとのこと、その後、修行を終えて実家に戻り9年ほど作刀されていたそうですが、街中ということもあり、仕事に集中出来る場所を探していて今の工房の場所を見つけたそうです。実は、宮入法廣さんのご自宅と工房のある場所は古墳がある場所で、長野とは思えない開けた里山地区です。心地よい風が抜けるなんとも気持ちの良い場所なのです。自宅のリビングの横に大きなルーフバルコニーがあり、そこは本当に眺めがよく、気持ちが落ち着く場所です。緊張感続く作業を終えた後はこのバルコニーの一角にある椅子に座って一杯やるのが最高なのだそうです。
ご実家の伝法は相州伝で、師匠の伝法は備前伝と異なる流派の技術を持たれている、宮入法廣さんは学生の頃考えた通り、伝法に縛られず、自由な作品を生み出しています。
今では、五ヶ伝全てを学び、様々な作品を数多く残されています。
2010年に刀剣界最高峰の正宗賞を受賞し、様々な歴史的な復元品や、相撲の土俵入りの太刀なども手がけるマルチな感覚は、伝統の技法を身につけながら、未来へ一歩一歩新たに足跡を残し、新たな伝統を作り上げていくのだなと感じました。
現代ではもはや使われることがなくなった刀剣ですが、素材も含めてこの刀剣を作り上げる工程と技術の中には日本の美意識がびっちり詰まっています。宮入法廣さんは、時代に合わせてその美意識を進化させながら繋いで行ってくださる匠なのだなと、リズミカルに甲高く響く、鉄を鍛える音を聞きながらぼんやり考えていました。
店舗データ
宮入法廣 鍛錬所

〒389-0406
長野県 東御市 八重原2−339
https://www.norihiro-miyairi.com
一般営業はしておりません、商品や個展の問い合わせはホームページのコンタクトよりお願い致します
<urakuプロフィール> http://urakutokyo.com/
ファッション誌や広告などで活躍中のモデル田沢美亜(たざわみあ)とTOKYO DRESS などのプレスやアパレルブランドのディレクションを務める石崎由子(いしざきゆうこ)の2人で立ち上げたユニット。
日本各地に残るぬくもりある手仕事や確かな技、それら日本人が大切にしてきた美意識や心を現代の生活や次世代に残し伝えていく事を目的にしています。またそこから海外への発信、架け橋になるようにと活動を続けています。
<Special Thanks>
ROPE ETERNEL:Dress
Continuer:Sunglass