She’s Mercedes meets Japan / Vol.15

徳島県 板野郡上板町(撫養街道) 前編 岡田製糖所 岡田和廣

江戸時代から続く丁寧な製糖技術が生み出す、至宝の和三盆

大阪から淡路島へ入り、撫養街道(むやかいどう)を進み徳島へ。江戸時代から続く阿波和三盆の製作所を訪ねる、「uraku」の旅紀行。

photo/ 戸松 愛 text&edit/石崎由子(uraku) navigator/田沢美亜(uraku)

撫養街道と吉野川

メルセデスで巡る旅、今回は大阪から淡路島に入り阿波五街道の一つ撫養街道(むやかいどう)を進み徳島県徳島市へ向かいます。この街でおよそ200年前の江戸時代から続く製法で阿波和三盆を製作している「岡田製糖所」を訪れました。
江戸時代、現在の徳島から鳴門海峡を渡った淡路島まで、徳島藩として蜂須賀氏が治めた場所です。この地に流れる大河、吉野川の恵みと、安定した気候を大いに利用して、徳島藩は様々な産業を発展させました。
その一つが、江戸時代の白い砂糖作りの技術、阿波和三盆糖の製作です。
鳴門海峡を渡りしばらく走ると、その大きな吉野川にぶつかります。大きなまるで海のように水を満面に湛える光景は徳島の美しい光景の一つです。
そんな豊かな水と大地の恵みあふれる街に向かう今回の旅のお供は、C220 d STATIONWAGON AVANTGARDE、カラーはダイヤモンドホワイトです。長旅にピッタリなゆったりとした収納で、キャリーバックも心配なく積み込めます。安定した走りとゆったりした室内空間が長旅の疲れを軽減してくれるようです。
さて、快適なドライブを楽しんでいたら「岡田製糖所」が見えてきました。

Uraku
 
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竹糖を丁寧にゆっくり結晶化させていく

「岡田製糖所」は徳島市から吉野川を少し上流へ向かい、山の方へ進んだ上板町というところにあります。
古い大きな日本家屋が素敵な場所で、周りはのどかな田園風景が広がり、ゆったりとした時間が流れています。
到着すると今回ご案内してくださる、当主の岡田和廣さんが出迎えてくださいました。
ちょうど作業の真っ最中ということで、作業風景を見せていただくことにしました。
風情あるお屋敷の間を抜けて奥に入ると、まず目に入ってきたのは山積みにされていた原料と思われる砂糖黍たちでした。
和三盆の原料となる砂糖黍は沖縄や九州などで栽培されるものとは品種が違います。こちらで使われるのは“竹糖”という品種で、背丈も低く細いのが特長です。
この竹糖は今では栽培しているところは徳島、香川を中心に限られていて、和三盆製作もこの2県産のものがほとんどになります。
この竹糖の収穫時期が11月下旬から12月にかけてとなるので、和三盆製作も毎年12月1日から始まるのだそうです。
まずはこの竹糖を砕き、絞ります。絞った液体はアクが強いので、煮詰めて丁寧にアクを取り省いていきます。ここで手を抜くと白いお砂糖にならないのだそうです。

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煮詰めた物を少し冷まして、不純物を沈めて取り除くと、また炊き上げていきます。
煮詰める作業場は“釜場”と言われるだけあって、常に蒸気が立ち込めて熱気が漂っています。
寒い時期でも寒さを感じないほどです。暑い時期は大変なのだろうなと、つい考えてしまいました。
さて、再度炊き上げた絞り汁ですが、煮上がりの良い頃合いを見て、今度はゆっくりと冷却させて、砂糖を結晶化させていきます。綺麗な結晶にならないと良い和三盆ができないのだそうです。
この一連の作業を行うのは熟練した職人さんたちで、長年の感覚で全てを見極めて調整していくのだそうです。木の樽で撹拌しながら冷却し、最後は素焼の甕に移しゆっくり冷やしていき、良い温度になったら桶に移します。この状態になった砂糖を”白下糖”と言うのだそうです。
出来上がったばかりの白下糖を少しいただくことができましたが、優しい甘さで、味わい深かさを感じました。

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和三盆の仕上げの“研ぎ”

さて、釜場でできた白下糖を今度は白くしていく作業場へと移動します。
作業場は、入り口脇のお店横にある、最初に印象的だったあの趣ある日本家屋の中にあります。
中に入るとさっきの釜場と違い、ひんやりとしていて静寂な空間です。
こちらでの作業工程は、まず1週間寝かした白下糖を麻の布で包み重しをして絞ります。このようにして黒蜜を絞り出し白くしていくのです。この一回目の作業を“荒がけ”と言い、丸一日絞り出します。
そのあと、今度は職人さんの手により行う作業を“研ぎ”と言います。
この作業は、手水を少しずつ打ちながら、白下糖をもみこみ滑らかにしていくのですが、こちらも温度や湿度や砂糖の状態をその都度見極めながら感覚だけで行っていくのです。
和三盆糖の仕上げの部分を担う極めて重要な作業とも言えます。
この作業を行っている阪東さんはお父様も熟練した研ぎ職人さんだったそうで、90歳まで働かれていたそうです。お父さんに比べたらまだまだですとおっしゃって、リズミカルに研ぎの作業を行いながら丁寧に作業工程の話をしてくださいました。

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和三盆の名前はお盆の上で三回研ぎの作業をして白くしたところからついているのだと言われています(諸説ありますが、この説が有力です)
はじめは“つぶり”といって、荒い組織を潰しながら滑らかにしていきます。
そのあと水を打ちながら“どぶぬき”“中とぎ”“上げとぎ”と行っていき、その都度、麻袋に入れて板に挟み、大きな石の重りで絞り上げて黒蜜だけ抜き取り、白く滑らかな和三盆へと仕上げていきます。
見ていると本当に見事に少しずつ白くなっていき、まるで魔法のような感じです。
昔の人が作り上げた技術の素晴らしさに頭がさがる思いです。
こうして出来上がった和三盆はかげ干しして乾燥させると、味わい深い柔らかい甘さの和三盆へと変化していくのだそうです。
出来上がった和三盆は素材としてお菓子屋さんなどに出荷されるのがほとんどですが、一部小売用の干菓子も作って販売されています。干菓子と言っても、和三盆に少しの水を加え、型に入れて固めるだけの物と、もう一つは粉を綺麗にするために振るいにかける時にできるダマを天日干し、その後屋内で1年間寝かし作るあられです。
どちらもとても美味しくて、滑らかな甘さがしつこくないので、ついつい食べ過ぎてしまいました。

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吉野川の恵み

さて、見学を終えて、お店でお土産の和三盆をどれにしようかと、当主の岡田和廣さんに相談をしながら、「岡田製糖所」のお話ももう少し伺うことにしました。
もともと、岡田家は代々農家で、この地に竹糖が入ってきた頃からおそらく栽培をしていたのではとおっしゃっていました。和三盆への加工技術はおそらく江戸後期で、当初は黒糖だったのだそうです。夏場は農業を行い、冬になると和三盆加工を行っていたのだそうで、農家さんの作業の一つであったため、はっきりした記録は残っていないのだそうです。
冬場に山の方から出稼ぎの方がいらして、住み込みで作業を行っていたそうです。彼らは、夏場は自分たちの田畑で農作業を行い、冬になると出稼ぎに来るといったスタイルだったようです。
そんな農家さんの作業ということで、昔はこのあたりで竹糖を栽培されている農家さんはたくさんあり、和三盆を作っていらっしゃるところも徳島では20軒ほどあったそうです。
ところが今では5軒しか残っていないとのこと、機械化が進み手軽に白いお砂糖が出回ったことと、原料の竹糖を栽培する農家さんが減ってしまったところに原因があるのだそうです。
時間をかけた丁寧な手作業で全てを行っているこの「岡田製糖所」が作り出す和三盆は、他のそれとは違い、まろやかで優しい甘みが特徴です、私たちがよく聞く老舗の和菓子屋さんなどは、代々使われていて、その品質はお墨付きです。
とはいえ、人手不足や限られた原料の確保の問題は少しずつ深刻化しているのが現状だそうです。
ふと、この地に漂うゆったりとした空気感は、吉野川がもたらす肥沃な土地が、豊かな畑を保ち、豊かな作物を提供し続けてくれたからではいう思いがめぐり、この先も長くこの技術を受け継いでいってほしいなと強く感じました。
宅地化、機械化が進んだ現代に生きる私たちは、自然からいただく豊かさを忘れてはいけないなと思いながら「岡田製糖所」を後にしました。

Uraku
 
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店舗データ

岡田製糖所

Uraku

〒771-1310 徳島県板野郡上板町泉谷字原中筋12-1
tel: 088-694-2020
fax: 088-694-2221
http://www.wasanbon.co.jp/

定休日:土曜日、日曜日、祝日
営業時間 : 9:00~12:00、13:00~17:00
専用駐車場あり

<urakuプロフィール>  http://urakutokyo.com/
ファッション誌や広告などで活躍中のモデル田沢美亜(たざわみあ)と
TOKYO DRESS などのプレスやアパレルブランドのディレクションを勤める
石崎由子(いしざきゆうこ)2人で立ち上げたユニット。
日本各地に残るぬくもりある手仕事や確かな技、それら日本人が大切にしてきた美意識や心を現代の生活や次世代に残し伝えて行く事を目的にしています。またそこから海外への発信、架け橋になるようにと活動を続けています。

<Special Thanks>
Continuer:Sunglass

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