She’s Mercedes meets Japan / Vol.20

東海道 前編 而今禾(Jikonka) オーナー 米田恭子

歴史的な街並みに溶け込むような、ゆったりとした美しい生活

日本各地に伝わる手仕事や、受け継がれてきた技を次世代へ伝えようと、活動をしている「uraku」。彼女達が旅のみちみちで出会う日本の美しい風景や物、事、そしてそこに集う人々のつながりを、メルセデスと共にみつめる旅紀行。女性2人ならではのロードストーリー、新年1回目の掲載は三重県亀山市にある、趣ある街並みが残る関宿を訪ねた時のお話です。

photo/鬼澤礼門 text&edit/石崎由子(uraku) navigator/田沢美亜(uraku)

1000年以上前から続く歴史的な地域

様々なことが起こり忘れられない年となった2020年を無事締めくくり、新しい年を迎えました。今年も楽しく読んでいただけたらと思います。
気がつけば、松の内もすっかり過ぎて、世の中はいつもより少し静かな日常が戻ってきました。
メルセデスで巡る旅、2021年初めての掲載です。

今回お届けする旅紀行は、昨年秋に三重県亀山市の関宿にある「而今禾(Jikonka)」を訪ねた時のお話です。関宿は東海道をどんどん進み、東海道五十三次で四十七番目の宿場町で、鈴鹿山脈の山裾に位置しています。

昔の面影を色濃く残す風情ある街並みが美しいこの場所の起源は、実に1350年ほど遡ります。それは西暦670年頃に「日本三関」の一つとして軍事目的で設置された「関」でした。
時代は進み、江戸時代に徳川家康が行った宿駅制度によって本格的に整備され、現在の姿に至ったようです。

そんな風情ある街並みを走る、今回の旅のお供は、メルセデス・ベンツ B 200 d、カラーはデニムブルー。
スポーティーながら洗練されたスタイルにクリーンディーゼルを搭載していて、トルクフルな走りは、高速道路の合流地点などでも、余裕のある走りを見せてくれて安心できます。
見た目以上に広々とした内装空間と大容量のラゲッジルームは、今回のような長距離の旅には、ストレスがなく快適な時間を過ごせます。
さて、のんびりとドライブを楽しんでいたら今回の目的地、関宿の街並みが見えてきました。

「今」何をすべきかを追い求めている姿

「而今禾(Jikonka)」は関宿の東海道沿い、「重要伝統的建造物保存地区」に指定された街並みの中程に22年前からお店を構えています。その他にも東京の深沢にギャラリーショップがあり、2018年にはJikonkaSEKIの「工房而今禾(KOBO Jikonka)」を新たにオープンさせたばかりです。
今回は東海道から少し脇に入った場所にある工房を訪ねることにしました。

「而今禾(Jikonka)」は衣食住を通して今、大切にしたい美しい暮らしやライフスタイルを長らく提案、発信し続けています。
地域の活性や発展のための活動も欠かさず、街並みを利用したお茶会や食事会、季節や暦を学ぶワークショップなど様々な取り組みを、ここ関宿と東京で行っています。
私たちurakuも「而今禾(Jikonka)」の皆さんからはいつも刺激や学びを受けています。
2018年の新たな工房のオープンにあたり、「而今禾(Jikonka)」は正藍染の工房を開設、続いて製茶サンプルの工房も開設されました。オーナーの米田恭子さんが「今」何をすべきかを、いつも自身に問いかけながら取り組まれる姿には、本当に驚かされるとともに頭が下がります。

工房に到着すると米田恭子さんが笑顔で門まで迎えに出てきてくださいました。
伺いたいことはたくさんありますが、今回は米田恭子さんが新たにスタートさせたお茶の製造について中心に伺おうと思います。

椿大神社の御神体の裾野で行う茶葉の栽培

到着早々に、お茶の畑を拝見させていただくことになり、また少しだけ移動することになりました。車で20分ほど移動した場所、ちょうど椿大神社の御神体の入道ヶ岳の南の裾あたり、石水渓という美しい名前の場所のすぐ近くに、米田恭子さんが無農薬で育てているお茶畑はあります。
椿大神社は一昨年、このメルセデスの取材で訪れたことのある場所です。
美しい自然が広がるその場所へ向かう途中も、フラワーロードという可愛らしい名前のついた道を通りゆっくりとした時間が流れています。
私たちが訪れた時期が秋の中頃ということもあり、のんびり車を走らせるのには心地よい気候と美しい景観が広がっていました。

この場所は、耕作放棄地だった茶畑を米田恭子さんが借り受けて栽培を始めました。
お茶の木が何年にもわたり放置されていたそうで、よく見かけるようなサイズのお茶の木ではなく、私たちの身長を遥かに超えるほど大きくなっている姿には驚きました。
現在摘み取りを行なっている茶木だけ、少し背丈を低くして摘み取りやすいようにしてはいますが、それでも身長は超えています。その茂みの中に入り込んでお茶の葉の様子をチェックされていました。
現在、日本で栽培されている茶木品種の多くはヤブキタが中心で、明治頃から多く栽培されていますが、ここで栽培されているのはF4という紅茶に適した茶木品種とのことです。
この場所で無農薬のお茶栽培に取り組んでいる米田恭子さんですが、始めた頃は製茶をお願いしている茶農家さんに、理解してもらうことはなかなか難しく、実際採取した茶葉で作ったお茶を飲んでいただき、お茶にした時の味わいの違いなど体験をとおして、理解を深めてもらったそうです。

お茶という文化にはまだまだ可能性があり、その部分を開拓していきたいと語る米田恭子さん。
お茶の木は椿科で、お花もお茶の実も私たちがよく知る椿とそっくりなのですが、椿大神社の御神体の裾野で栽培ということも、お茶に対しての新たな試みを始めた場所として、ピタリと全てが符合する場所なのではと美しい自然の中を歩きながら感じていました。

お茶をいただく時間に漂う空気感

お茶畑を見せていただいた後は、工房へ戻り、お茶室でお茶をいただくことになりました。
お茶室は大きな無垢のテーブルが中心に置かれ、柔らかい光が心地よく射す、落ち着いた空間です。
そこで、やかんから吹き出す蒸気の音、お湯を注ぐ音、茶葉をさらさらと入れる音などが静かに響き、柔らかながら凛とした空気が漂い、なんというか浄化されるような時間です。

まずは一煎。ふわりと香りが広がり、淡くきりりとした味わいでありながら深みのある印象でした。
こちらは「麗茶(れいちゃ)」と名付けた白茶(はくちゃ)で、水出しして飲んでも美味しくいただけます。
その後に二煎目、三煎目、といただきましたが、どんどん味と香りが変わっていきます。
そんなことを会話しながら、心地よい時間は過ぎていきます。
その次に淹れていただいたのは「伊勢小青柑(いせしょうせいかん)」小さな蜜柑に発酵茶を詰めた姿が可愛らしいお茶です。
こちらは前にいただいた白茶とは全く違い、ほのかに柑橘の香りが広がり、深みと甘味と苦味が混在する奥深い味わいです。
こちらも同じように二煎目、三煎目と違いを楽しみながらいただきました。

3年で薬になって、7年で宝になる

米田恭子さんは、お茶の可能性を広げ、生活意識の変革ができたらと語ります。
前述したように、日本で生産されている茶木品種はほとんどが同じもの、わずかに生産されている違う品種はありますが、最終的に食卓にのぼるお茶の種類は、煎茶、抹茶、ほうじ茶、ここからのバリエーションと、わずか一部の発酵茶です。
米田恭子さんは台湾や中国のお茶文化に触れるうちに、彼らのお茶をいただくという時間に交わされる、多種多様な楽しみ方を感じ、“お茶をいただく”という行為そのものへの、新たな提案をすることによって、生活や暮らし方の変革が起こり得るのではと感じたのだそうです。
日本のお茶のほとんどが緑茶の旨味(甘味)をいかに引き出していくかに特化しています。
しかし、茶木にはたくさんの品種があり、お茶の加工方法もたくさんのバリエーションがあります。
閉じられた空間のお茶会でなく、広がって分かち合う空間のお茶会を、生活に取り入れて過ごして行けたら、それは確かにこれからの時代に沿っているのかもしれません。

実際今回いただいた白茶は、先ほど見せていただいたF4という品種の茶木で、その上製法も全く違います。こちらは発酵茶なのですが、日本の緑茶では行わない萎凋(いちょう)という発酵の工程があり、そのため香りが豊かになります。
緑茶は発酵を止めるため殺青(さっせい)という作業を摘み取ったらすぐに行います。そこが大きく違う部分と言えるのです。
発酵飲料なので、時間が進めば熟成していきます。中国では古くから「3年で薬になって、7年で宝になる」と言われているそうで、今回私たちがいただいた白茶は3年ものなので、薬と呼ばれるほど熟成が進んだものなのです。
もう一つの「伊勢小青柑」、こちらは米田恭子さんが中国で飲んだ「小青柑」があまりにも美味しくて感動した時、ふと、「三重県でこの素材全部揃うかも」と思ったことが始まりで、完成したお茶です。三重県産の蜜柑に、発酵茶を詰めて焙煎しています。茶葉はまた違う在来種の茶葉なのだそうです。

日本人のお茶の需要は年々下降していて、自宅でお茶を飲む方もどんどん減ってきていることが現状ですが、お茶そのもののバリエーションがもっと増えるだけで、まずお茶の世界は広がるのではということも、米田恭子さんはお茶を淹れながら話してくださいました。

挑戦し、問いかけることを忘れない生き方

ゆっくりした時間が流れる中で、米田恭子さんが提案する、美しい暮らしのスタイルはどこからきているのかと思い、お茶を作るに至るまでのお話を伺うことにしました。
昔のことよ、と笑いながら最後は冷茶を淹れながら話してくださいました。
米田恭子さんはパートナーである西川弘修さんと一緒に「而今禾(Jikonka)」を運営されていますが、その前は陶芸家として活躍されていたそうです。
ちょうどバブルの頃で、ライフスタイルや、器、生活雑貨に注目が集まり始めた頃だったこともあり、順調に作陶されていたそうですが、そのうち自身で販売を行うために亀山市の関宿に「而今禾(Jikonka)」を作り、器だけでなく、買い付けた雑貨などを販売したり、作家さんを紹介するギャラリー運営をしたりし始めます。そこでカフェを運営し出した頃から、とても作陶に手が回らなくなり、また子育てのタイミングもあり、自身のクリエイティブに関しては分業化できる洋服の方へシフトしていったそうです。

器や、雑貨などのセンスがとても品があり美しいのですが、どこかに何かカウンターな精神を感じるのは、米田恭子さんがパンク少女だったというお話を伺って、納得しました。
その絶妙なミックス感が、変にかしこまり過ぎない抜けを持たせた、素敵だけでなく、かっこいいという感覚を与えてくれるのだなと思います。
彼女の周りには、今、次世代を担う若者たちがたくさん集まっているのですが、そんなカウンターな心が若者を捉えるのかもしれません。

忘れてしまった美しく暮らすこと

米田恭子さんは他にも藍染めを行うための工房も持っていて、毎日藍瓶の世話もしています。
彼女は日本古来の“正藍染”という化学薬品はもちろん、石灰も入れない方法で藍建てを行います。
服薬、という意味を持つ藍染めの本来の姿を再現したいという思いから手間のかかる正藍染を始めたそうです。薬効だけでなく、染め上がりの藍は、透明感がある明るいブルーで、色移りもしません。
藍が持つ様々な本当の魅力を伝えていきたいのだと語ってくださいました。

米田恭子さんの提案スタイルを見ていると、問いかけや挑戦も忘れず、でも丁寧にゆったりとしています。そこには微笑みやワクワク感が生まれ、美しく澄んだ空気が流れているようです。
この様子は、明治の頃に日本に訪れた外国人が、称賛した日本のスタイルと、日本人の美徳に近いのかもしれません。ラフカディオ・ハーン、エドワード・S・モース、アーネスト・フェネロサ、などなど、他にもたくさんいますが、この時代の日本を見て感じた多くの外国人が、平和で、争いがなく微笑みが絶えず、不満がないのではないかと思ったのだそうです。
失われてしまいつつあるそんな感覚を、米田恭子さんは未来へと繋げていってくださるのかもしれません。

地域の素材や、場所、人を大切にしながら、発信し、前進することを留めることなく、時代に合わせて変化することも楽しむ生き方、周りに集まる次世代を担う人々へ、灯台のような存在を示しながら突き進む姿はやはりカッコよく、“場”を生み出し未来へ繋げていくのだと思います。
お話が終わったところで、もう一煎いかがと言われ、またゆっくりとした時間へ戻ることにしました。


 

店舗データ

「Jikonka SEKI 工房而今禾(KOBO Jikonka)」

Jikonka SEKI

〒 519-1107三重県亀山市関町木崎250-1
TEL&FAX: 0595-96-1805
http://www.jikonka.com

<urakuプロフィール>  http://urakutokyo.com/
ファッション誌や広告などで活躍中のモデル田沢美亜(たざわみあ)と
アパレルブランドのプレスやディレクションを勤める石崎由子(いしざきゆうこ)
2人で立ち上げたユニット。
日本各地に残るぬくもりある手仕事や確かな技、それら日本人が大切にしてきた美意識や心を現代の生活や次世代に残し伝えて行く事を目的にしています。またそこから海外への発信、架け橋になるようにと活動を続けています。

<Special Thanks>
JIKONKA:Tops,Pants
Continuer:Sunglass

Share on: