
江戸の西の玄関口「品川宿」
2017年の7月から始まったメルセデスで巡る旅、3年目に入って迎えた新たな年となりました。
2020年初めてとなる今回は、初心に戻って、メルセデス・ベンツ日本のお膝元、品川から新たな旅のスタートを切ります。
江戸時代、五街道の中でも最も重要で人の流れが多い東海道を、江戸へ入るかたちで品川から日本橋へ進み、浅草まで巡ってみることにしました。
江戸時代、世界に類を見ないほど大きくなった江戸、その西の玄関口と言われた品川は、多くの人々で賑わいました。遠く西から訪れた旅人は、この品川宿で一休みして江戸へ入る準備を整えたと言われています。
そのため品川宿には多くの店が立ち並び、人々で賑わう華やかな街でした。歌川広重が描いた、あの有名な浮世絵「東海道五拾三次」はもちろん、当時描かれた他の浮世絵にも数多く登場しているほどです。
そんな粋で華やかな街を巡る今回の旅のお供は、Mercedes-AMG A 35 4MATIC Edition 1 、日常使いが出来るAMGとして発表された、新しい35シリーズです。
カラーはデニムブルー、この深く落ち着いたブルー色は、渋好みで粋な江戸っ子たちもきっと気に入ってくれること間違いなさそうです。コンパクトながら力強い馬力で都会の道をスムーズに走ります。室内はメルセデスならではの質の高いインテリアに加え、革新のインフォテインメントシステム、MBUXで様々な機能がより素早くシンプルに操作が可能になり今まで以上に運転しながら快適にすごせます。
さて、心地よいドライブを楽しんでいたら今回の目的地「錦霞染色工房」が見えてきました。
下町の住宅街で丁寧につくられる織物
東海道を大井町方面に曲がり、少し進んだ住宅街の中に「錦霞染色工房」はあります。
周りは温かみが残る昔ながらの下町の住宅街といった感じのところで、代表の藤山千春さんの自宅が染色と機織りの工房となっています。
到着すると藤山千春さんと娘さんの優子さんが出迎えてくださいました。
藤山千春さんは吉野間道という織物を55年織り続けている、この道の第一人者です。色とりどりの糸で巧みに織られた吉野間道はうっとりする美しさで、見るものを魅了してしまいます。
そんな美しい織物を生み出す秘密がこの場所にはあるのだなとワクワクしながら、工房へと足を踏み入れました。
ここでは庭先で草木染めを行い、工房で機織りを行っています。職人さんはその日によって作業人数は変わりますが、女性ばかりで大体8名〜10名いらっしゃるそうです。
工房の機織りの、ギッコ、バッタ、とリズミカルな音がかすかに聞こえています。
お庭には染料となる、臭木(くさぎ)や、矢車附子(やしゃぶし)、また藤山千春さんのお母様のご出身が伊豆諸島の青ヶ島ということもあり、明日葉(あしたば)などが植えられていて、少し普通の家庭のお庭とは様子が違う感じです。ちょうどこれから臭木の染物を娘の優子さんが行うとのことで、早速見学させていただくことにしました。
自然の草木から生み出す美しい色たち
臭木はシソ科の落葉小高木で、その葉に悪臭があることからこの名前が付いています。
悪臭と言っても、青臭さが極まった感じで、そこまで不快をというわけではないのに、この名前がつけられてしまっていることに、少しかわいそうだなと感じたりします。
花が咲いた後につく実がきれいな青色で、この実から青い染料を作ります。
まず時間をかけてじっくり実を煮詰めると、煮汁が青い染料となるので実を取り出し、そこに絹糸を少しずつ何回かに分けて染めていきます。ある程度染まったら絞って、糸を絡まないように整えて干していきます。青色の濃度はこの工程を繰り返す回数で違ってきます。
臭木の青は、藍の青色とはまた違う爽やかで清々しい青色で、草木染めでこんなにも鮮やかな色の発色が出せる事にとても驚きました。私たちが訪れる前に染めていたという、とても鮮やかな紫色の糸も竿に干されていましたが、こちらはコチニール貝殻虫という虫から染料を作り染めるのだそうです。
この臭木は藤山千春さんのお母様のふるさと青ヶ島の隣にある八丈島から取り寄せているのだそうです。今でも親戚の方がたくさん青ヶ島と、八丈島には生活していらっしゃるそうで、藤山千春さんの作品には深く関わり、影響を与えているのだなと感じます。
子供の頃から幾度となく八丈島を訪れ、その中で機織り作業を見た経験もあり、また機織り機を作る大工さんが親戚にいらっしゃったりと、機織りそのものを、なんとなく身近に感じていたのだそうです。
見学させていただいた臭木の他に、こちらの工房で行っている草木染めの染料の種類はだいたい10種類ぐらいだそうで、この臭木、矢車附子、楊梅(やまもも)、コチニール、藍、ログウッド、茜、槐 (えんじゅ)、ざくろ、カテキュー、が使われています。またこれらを媒染によって色味のバリエーションを出したり、組み合わせで変化させたりして、あの様々な色合いを表現していくのだそうです。
手元から少しずつ生み出される美布
染色作業を一通り見せていただいた後は、機織りの作業を見るために工房のなかへ移動します。
藤山千春さんが今、手がけていらっしゃる吉野間道を織っている様子を見せていただくことになりました。
中に入ると、先ほどお庭でかすかに聞こえていた機織りの音が、大きく響き渡っていました。
吉野間道は平織の中に畝状の織を施した織物で、平な織物に立体感や個性を組み込んでいく織物です。藤山千春さんの構成する吉野間道は、複雑な組織で構成されたものが多く、織り上げるのに手間と技術が必要なのだそうです。組織について説明していただきましたが、とても難しく理解するのが大変でした。織組織により異なる配列の経糸を重なりによって均等に張り、そこに緯糸を織り込んでいくのですが、経糸の組織をコントロールする踏み板も複数あり、デザインにより手と足で巧みに操作してく姿は力強く輝いて見えました。
こちらの工房では、吉野間道以外の織物も制作されています。藤山千春さんの隣の機では職人さんが違う組織の織物を織り上げていらっしゃいました。
心地よい機織りの音色と、巧みに変化しいく手先、その手元から少しずつ現れる美しい織物の姿、これらは長く見ていても飽きることなく、時間があっという間に過ぎてしまいました。
浮き上がるような艶やかな絹織物
染色、機織りの作業工程の見学を終えた私たちですが、藤山千春さんの作品を間近で見せていただけるということで、工房の2階へと案内していただきました。
自然から頂いた美しい色で染め上げられた糸を使っているからか、布から発せられる色の美しい力強さが感じられます。そしてそれに負けない精巧で丁寧に積み重ねた人の力も感じます。
触らせていただき、丈夫でありながら柔らかくしなやかで、光の角度で輝きを放つ姿に、昔の人が織物へ寄せる崇高な気持ちを垣間見た感覚を持ちました。
前述もいたしましたが、藤山千春さんのルーツは伊豆諸島の青ヶ島と八丈島にあります。幼い頃なんとなく見ていた機織り光景は、彼女にとって当たり前すぎて、特に職業にしていこうという気持ちはなかったそうです。きっかけは女子美術大学で、先行を決めるときなんとなく織物を選んだこと、そして卒業後、大学の恩師である柳悦孝氏の工房で仕事を始め、たまたま吉野間道を手がけることになったという事の巡り合わせの重なりで、いつしかこの織物に魅了されていかれたのだそうです。「気が付いたら55年もやっちゃったわ」と、少女のように笑う藤山千春さんと一緒に微笑んでいる娘の優子さん、2人母娘の姿にも暖かな気持ちになりました。そんな優子さんの作品も一つ見せていただきました。晴れやかなブルーの吉野間道は若々しく元気な彼女の美しさが表れていて、また違った力強さを感じました。
美しい布を見つめてうっとりしていたら、藤山千春さんに作品の中の一つを着てみませんか、と言われ、恐れ多くもありがたく纏わせていただくことにしました。
柔らかく、肌触り良い素材は、羽織ってみるとその着心地の良さを肌で感じられます。
また人の体に沿わせると、その複雑で絶妙なグラデェーション彩色が一層、艶やかに浮き上がり、存在感を大きくさせます。なんとも言い難い、艶っぽさと、力強さと、優しさを放つ美しい絹織物は、人が纏い、布に動きが出ることで完成するのだなと感じました。
こんなにも美しい織りや染色をどうやって生み出すのですかという質問に藤山千春さんは、「私は決して才能があるとは思っていません。毎日の経験などの積み重ねと、続ける努力、そして失敗したり、つまずいた時に諦めずに新しい方法を考え抜いた、それだけなのです」と答えられながら柔らかく微笑んでいらっしゃいました。
過去から未来へ受け継がれる女性の想い
吉野間道という名前の由来は、京都に実在した聡明で美しい吉野太夫が、江戸初期の豪商灰屋紹益より、室町時代に南方から伝わったとされる名物裂を贈られて、その生地を大変気に入り使用したということから名付けられたと言われています。
藤山千春さんは平成9年にこの吉野太夫のお墓がある京都の寂光山常照寺を訪れ、縁を感じる吉野太夫の墓所をお参りする機会があり、その時にこのお寺に伝わる先人の作った吉野間道の名物裂を見ることができたのだそうです。その布の美しさを見て、藤山千春さんは自分の作品はまだまだだと感じ染色織物活動に、より一層の力を注ぐ原動力となったそうです。
そして時を経て思いがけず、住職さんから2枚ある吉野間道の名物裂のうち1枚を譲り受けるという素晴らしいご縁につながることになりました。吉野間道を引き継ぐ藤山千春さんにお持ちになっていただきたいという住職さんの思いなのではと思います。見せていただいたその布は、小さな切れ端なのに力強く、少しオリエンタルな感覚も持ち合わせているような逸品で、その布を見ていたら、吉野間道という織物を愛した吉野太夫から、未来に伝えてくださいねと託されているのではないのかなと感じてしまいました。
最後に織物そのものを始めるきっかけとなった八丈島の黄八丈のお話に戻った時に、そうそう、と思い出して1枚の着物を見せてくださいました。藤山千春さんのお母様がお嫁に来る時に持ってきた黄八丈で、糸紡ぎも手で行っていた90年ほど前に着物は、綺麗すぎず、たおやかで優しい布でした。今ではこんな温かみのある布は作れないのと、優しくお母様の着物を見つめている藤山千春さんを見て、女性たちが引き継いできた機織りという技術は母から娘への思いに似ているのかもと感じました。取材した日にはお留守でしたが、優子さんの妹さんも藤山千春さんの技術と思いを引き継いでこの工房で働いていらっしゃいます。青ヶ島と八丈島から藤山千春さんへまた2人の娘へ、その思いと重なるように、はるか昔の吉野太夫まで、いつの時代も一織り、一織り、愛情込め暖かく伝わる女性の思いを感じ、立春らしく生き生きとした気持ちに満たされて工房を後にしました。
店舗データ
錦霞染色工房

〒140-0014 東京都品川区大井5-7-8
tel & fax: 03-3771-3201
一般営業はしておりません、商品や個展、見学などは一度お問い合わせお願い致します
<urakuプロフィール> http://urakutokyo.com/
ファッション誌や広告などで活躍中のモデル田沢美亜(たざわみあ)と
アパレルブランドのプレスやディレクションを勤める石崎由子(いしざきゆうこ)2人で立ち上げたユニット。
日本各地に残るぬくもりある手仕事や確かな技、それら日本人が大切にしてきた美意識や心を現代の生活や次世代に残し伝えて行く事を目的にしています。またそこから海外への発信、架け橋になるようにと活動を続けています。
<Special Thanks>
ROPE ETERNEL:Pants,Shirt,Knit
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