
大井川と牧之原台地
焼津市の「油屋」を出て、東海道を西へまた少し進み島田市に入ると、大井川にぶつかります。江戸時代、東海道の旅ではおなじみな「大きな水の流れ」の意味を持つ大井川は、川幅も広く流れも急だったことに加え、江戸や駿河の防御にもなるということから、橋はかけられず、渡し舟も禁じられていました。そのため、大井川を渡る際には川札を買い、馬や人足を利用して輿や肩車で渡る、川越(かわごし)を行っていました。
しかし、雨が降るとさらに水量は増し、しばしば渡ることができないことも多かったため、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と歌にも詠まれてしまうほど、東海道屈指の難所と言われていたようです。
東海道と大井川がぶつかる場所には「島田宿 大井川川越遺跡」があり、今でもその川越の面影を残しています。
そんな雄大な大井川を眺めながら気持ち良くドライブする旅のお供は、今回も、smart forfour BRABUS Xclusive、カラーはイエローです。心地よい風を感じながらまっすぐな道を、コンパクトながらなめらかな加速と馬力で乗り心地も抜群です。川を渡り少し車を走らせると、一面お茶畑が広がる牧之原台地が見えてきました。
赤松の薪で焼き上げる登窯
お茶畑の中を進み、川を遡るように北へ進むと、志戸呂焼(しとろやき)の利陶窯はあります。到着すると、敷地内にある大きな窯がすぐ目に入ります。
出迎えてくださった二代目にあたる青嶋利陶さんは、今までで走ってきた大井川や牧之原台地のような、穏やかな雰囲気が印象的な陶芸家さんです。
ゆったりとした時間が流れるこの場所で、私たちは青嶋利陶さんから作陶の話や、この利陶窯と志戸呂焼の話まで伺いました。
まずは、作陶のお話をということで、工房に訪れた時にすぐ目に飛び込んできたあの窯の場所へ移動です。この窯は先代が28年前に作られたそうで、茶道具のみ焼き上げるので、1年に1度、秋から冬の間にしか稼働はしないそうです。
窯には3つ部屋があり、一度に500個ほど入れて2日間かけて焼き上げていきます。
出来上がって納得いくものは実に2割ほどしかないのですが、それでもガスや電気で焼き上げるものとは違った景色が薪で焼くことにより焼き物に現れるため、茶道具はこの窯で焼き上げるのだそうです。
稼働していない窯は静かで穏やかですが一旦火が入ると1230度まで温度が上がると伺い目の前の姿とは違う躍動的な姿を想像していました。
小堀遠州や徳川家康に好まれた姿
窯の説明をしていただいた後、また工房に戻りろくろを回し成形する作業を見せていただきながら、志戸呂焼や利陶窯のお話をもう少し詳しく伺うことにしました。
静かな工房にろくろの回る音がリズミカルに聞こえる中、青嶋利陶さんの穏やかなトーンが響きます。
志戸呂焼は茶道遠州流の開祖小堀遠州に好まれ、“遠州七窯”の一つとされています。
その歴史は古く500年前、室町時代まで遡るとも言われていて、この地域一帯に良質な土があったため、美濃から移り住んだ陶工達によって発展したそうです。のちに徳川家康が瀬戸から名工をこの地に呼び寄せ、さらに発展、“徳川家御用窯”としての名声を上げてくことになります。
その土はきめが細かく硬く焼き締まるので、お茶入や水指に向いていて、褐色、黄褐色や黒釉を使った素朴な姿は、土に含まれた鉄分によるものだそうです。
この地域に志戸呂焼を伝承する窯は六ケ所あり、ここでとれる土と釉薬を使い作陶されています。志戸呂焼の大まかな特徴は、シンプルで素朴ながら躍動があり、品も感じられる粋な姿、武家に愛される所以を感じます。
そんな話をしてくださっている間、青嶋利陶さんはあっという間に四個の器を成形してしまい、私たちはそのなめらかな手つきにうっとりしていました。
土塊が器に変化していく姿はまるで魔法のようで、さぞかし幼い頃から作陶していたのかなと思い伺うと、意外なことにこの世界に飛び込んだのは大人になってから、と言われ驚いてしまいました。
青嶋利陶さんのお父様も実は志戸呂焼の窯元だったそうですが、幼い頃に亡くなられたようで、あまり志戸呂焼との関わりがなかったのだそうです。大人になってから親戚が営む賎機焼(しずはたやき)の窯で、趣味のつもりで始めてみたらすっかり魅せられてしまい、サラリーマンを辞めて先代がご存命の時に利陶窯に入られます。利陶窯の先代は遠州流の先代家元の弟さんで、実は青嶋利陶さんのお父様が亡くなられ、志戸呂焼の窯を継ぐ人がいなくなったのでこちらにいらっしゃったのだとか、青嶋利陶さんも知らなかったその事実に、驚きと縁の深さを感じたそうです。
お茶文化に愛された焼き物
志戸呂焼の窯で作陶するようになってから青嶋利陶さんはお茶も習い始めました。茶道具を作り出す伝統を引き継ぐために、茶道を知らなければと思ったそうです。
江戸時代、志戸呂焼が名を挙げた後、明治初期からこの地域はお茶の産地へと発展していきます。今では一面お茶畑の風景が特徴的な場所となり、そこも不思議な縁を感じます。一説では茶壺に適した陶土があるところにお茶の木がよく育つとも言われるのだとか、お茶文化に愛された地域なのかもしれません。
そんな志戸呂焼ですが、茶道の世界での器としての歴史が長かったためか、今では一般の方への知名度が低く、また名前を知っていても歴史の古さからか、もうなくなってしまった産地と認識されている方が多いのだそうです。そのため青嶋利陶さんは茶道具だけでなく、日々の生活に合うようにと、器やお皿、酒器などもたくさん手がけていらっしゃいます。そういった日常的な作品もたくさんの人に見て、使っていただけたらなとおっしゃっていました。
豊かな土壌と、気候、豊かな水源、昔から人々はそれらが集まる場所に集い街を築いてきました。この地域は奈良時代から陶器が作られていたようで、それらの痕跡が発掘、発見されています。
この豊かな地域で時代に合わせ形を変えながらも引き継がれてきた志戸呂焼を育んだ心は、青嶋利陶さんが知らずに引き寄せられてしまったように、この土地に住まう人々に緩やかにしっかり引き継がれているのだなと思いました。
店舗データ
志戸呂焼 利陶窯

〒428-0004 静岡県島田市横岡579-3
tel & fax: 0547-45-3858
定休日:不定休
営業時間 : 9:00~17:00
専用駐車場あり
<urakuプロフィール> http://urakutokyo.com/
ファッション誌や広告などで活躍中のモデル田沢美亜(たざわみあ)と
TOKYO DRESS などのプレスやアパレルブランドのディレクションを勤める石崎由子(いしざきゆうこ)2人で立ち上げたユニット。
日本各地に残るぬくもりある手仕事や確かな技、それら日本人が大切にしてきた美意識や心を現代の生活や次世代に残し伝えて行く事を目的にしています。またそこから海外への発信、架け橋になるようにと活動を続けています。
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