現代美術を担うアーティストの育成と国際交流を目的とした「メルセデス・ベンツ アート・スコープ」は、1991年より30年余りにわたり継続しているメルセデス・ベンツ日本の文化・芸術支援活動。
アーティストが海外に3ヶ月程度滞在し、そこで得た経験をもとに新しい表現に挑戦する「アーティスト・イン・レジデンス」を通じ、これまでに35名の日本とヨーロッパの若手アーティストの活動をサポートしてきた。
2022年から開始する「メルセデス・ベンツ アート・スコープ 2022-2024」では、新プログラムの一環として、これまで参加したアーティストを再招聘し、新作制作と展示の支援をスタートした。今回は2018年から2020年にかけて参加した久門剛史が選出され、2022年1月、モビリティとリビングの新しいつながりを提案する体験施設「EQ House」に1週間滞在し、その経験をもとに制作を行った。
自然と文明をキーワードとして、人の営みを構成する根源的な感性や唯一性/永遠性に関心を寄せ、音やプログラミング、絵画など多様な手法でコンセプチュアルな空間をつくり出す久門さん。六本木アートナイトに合わせて9月17日から25日まで開催された個展のレポートを、インタビューとともにお届けする。


人間の視点と自然の視点を重ねる
アイスランドの写真、円周率、ロボットアーム
田園風景が広がる京都の亀岡にスタジオを持つ久門さんは、「豪雨で山道が通れなくなることもあるんです。自然の猛威を感じながらも、自然の側から考えると、大量の雨によって土の中の水分量が飽和し、外に流れ出たという現象にすぎないとも思うんですね」と語り出した。「人間の側からは文明を壊された感じがするけれど、血が出たらかさぶたができるように、自然が傷を治そうとしているともいえる。そんな俯瞰的な視点から、僕らの文明と、人間の叡智をはるかに超える自然との関係の間にどうしたら綺麗なグラデーションが描けるのかと考えていた時に、今回のお話をいただきました」


外光が差し込む「EQ House」の壁には、波、砂、岩、雪、地熱発電所から立ち昇る煙の巨大写真。2018年、ベルリン滞在中にアイスランドに足を延ばして撮影した作品だ。その中に、円周率を表す極小の数字を螺旋状に描かれ、何らかの手を加えられた新作絵画が架けられている。
自然現象からインスピレーションを受けて、絵具の飛沫を飛ばす「スパッタリング」、垂らす「ドリッピング」といった技法を駆使して描かれている。「文明」の象徴としての円周率の螺旋上に「自然」が覆いかぶさるかのように、オーバーラップする。
3.14に近い数字は古代バビロニアですでに算出されていたというから、円周率研究の歴史は長い。「終わりが見えない円周率と、始まりがあって終わりがない文明の欲望とが重なるように感じています」

Crossfades #4(detail) 2022 Screen print, Solvent, Arches paper Courtesy of the Artist
また、ロボットアームが何やら手を動かし、そこから離れたベッドルームにルービックキューブがポンと置かれている。アイスランドでフィールドレコーディングした音が響き渡り、その合間、瞬間的にルービックキューブを回す音も聞こえる。実は、このEQハウスの建設時のコラボレーターでもある竹中工務店の協力で、ロボットはルービックキューブを回し続けられるよう設計されていた。しかし、手元からあえてルービックキューブを取り去ること で「問い」と「答え」の間に距離を置いて「空白」をつくり、地球(ロボットアーム)が永遠にルービックキューブを動かしながら答えを探し続けているようなナラティブ(物語的)な空間をつくりあげたのだった。



震災が人生の分岐点になった。
一つ一つ決断しながら進むことで世界はつくられる
久門さんはなぜ、自然と文明の関係に関心を持つようになったのだろうか。中学生の頃に経験した阪神淡路大震災と、東京で企業に勤めていた頃に遭った東日本大震災が大きなきっかけになったという。「家具が倒れてものが散乱した部屋を見ながら、この先の人生 のことを考えました。当時、大量生産のデザインの仕事に関わっていて、違和感を持ってはいました」
「それから、地震の起こるメカニズムを調べていくと、地盤が移動するということは、地球が居心地のいい形に戻ろうとすることなんだと考えるようになりました。アイスランドから始まる2枚の地盤プレートが地球を一周して、反対側に位置する日本で出会い、衝突する。僕らは人間の尺度で時間の長さを判断しがちですが、途方もない時間をかけて地殻変動を起こしている。それは、行き過ぎた文明を一時停止、またはリセットさせる力でもあると感じるようになりました」
こうしてアイスランドに興味を持ち、2018年のベルリン滞在中にアイスランドにも足を運んだのだった。そこでは、地層の断裂、地盤のぶつかり合いによって出現した起伏、その起伏の両脇を流れる滝、滝により侵食した形状に、自然の純粋な合理性を見て感慨を受ける。


「また、ベルリンではリサイクルの要領がよく、フィンランドやデンマークは環境に対して舵を取るのが早い。対して、日本は人口密度が高いので合意形成がしづらく、決断が遅くなるという構造も見えてきました」
自然をきっかけにリサーチを広げることで、人の営みと自然の間にある出来事が次々につながっていく面白さも感じたそうだ。

向き合う=正面から解を求めることが正しいとされる世の中で、「斜に構える=視点をずらして見ることがアートの魅力」だとも話す。
「未来は常に動き続けていくものなので、ピースがうまくハマらないのが必然だと思います。ルービックキューブがびたっと揃ったら怖いし、すべてがうまくいった瞬間に宇宙って止まる気がしませんか? パラダイムシフトはいきなり起こらない。一つ一つ決断しながら進むしかなくて、そんなふうにしか世界はつくれないのではないかと思うんです」
「川が運ぶ砂利の積み重ねが陸をつくるような大きな時間で考えたい」と語る久門さん。とりわけ、円周率の絵画の、ちぎった紙をつなぎ合わせた「コラージュ」が「修復」を思わせる。筆者は先日、東日本大震災から11年復興を進めてきた東北のある町を取材した。漁業を生業とする彼らは海を恨んでも仕方ないと、より多様な生物が共生できる美しい海づくりに尽力してきた。そうした人々の一歩一歩をつなぐ物語を重ねながら展示作品を見ることもできる。
メルセデス・ベンツ アート・スコープ2022-2024
EQ House × 久門剛史 ―六本木アートナイト2022 特別企画―
2022年9月17日(土)−25日(日)場所:EQ House

作品リスト
1. Crossfades #4 -Öldur-, 2022 シルクスクリーン、ジェッソ、アルシュ紙
2. Crossfades #4 -Vik-, 2022 シルクスクリーン、アクリル絵の具、アルシュ紙
3. Crossfades #4 -Reykur-, 2022 シルクスクリーン、ソルベント、アルシュ紙
4. Crossfades #4 -Snjór-, 2022 シルクスクリーン、アクリル絵の具、アルシュ紙
5. Crossfades #4 -Berg-, 2022 シルクスクリーン、コラージュ、アルシュ紙
6. Untitled, 2022 協働型ロボットアーム、プログラミング、ルービックキューブ、 フィールドレコーディング(録音 : ブラックサンドビーチ、 アイスランド、2018 年 9 月 13 日)、ルービックキューブの音
エンジニアリング:川上沢馬、坂口大賀(共に竹中工務店)
久門 剛史/ Tsuyoshi Hisakado
1981年、京都府生まれ。2007年京都市立芸術大学大学院彫刻専攻修了。人の営みを構成する根源的な感性や唯一性/永遠性に関心を寄せ、音や光、プログラミング、彫刻、絵画、大規模なインスタレーションなど多様な手法でコンセプチュアルな作品を発表している。作品を通じて鑑賞者の記憶や想像を共振させ、視覚や聴覚を研ぎ澄ますように促す。主な展覧会に「らせんの練習」豊田市美術館、愛知(2020年)、「58th Venice Biennale 2019」ヴェネチア、イタリア(2019年)「MAMプロジェクト025:久門剛史+アピチャッポン・ウィーラセタクン」森美術館、東京(2018年)、「アジア回廊 現代美術展」二条城、京都芸術センター(2017年)、「あいちトリエンナーレ2016」愛知県各地(2016年)など。チェルフィッチュの演劇作品「部屋に流れる時間の旅」では舞台美術と音声を担当。主な賞歴に、「メルセデス・ベンツ アート・スコープ2018-2020」(2018年)、「VOCA賞」(2016年)、「京都市芸術新人賞」(2016年)、「日産アートアワード2015 オーディエンス賞」(2015年)など。そのほか、文化庁「東アジア文化交流使」により中国へ派遣(2016年)。