ベルリン滞在―街の記憶を残す芸術との出会い
メルセデス・ベンツ日本が30 年以上続ける文化芸術支援活動「メルセデス・ベンツ アート・スコープ」は、これまで35名のアーティストに海外での滞在制作や展覧会の機会を提供してきた。2009年に同プログラムに参加した小泉明郎さんは、ベルリン滞在とその後の展覧会をきっかけに国際的に飛躍したアーティストの1人。独自の演劇的手法を取り入れた映像表現を中心に、さまざまなメディアを用いて、国家や共同体と個人の関係や身体と感情のメカニズムを探求しており、近年はVR作品も手がけるなど表現の幅を広げている。


「広くて自由に使える場所をずっと探してようやくたどり着いた」というアトリエ。改修中だが、トークや上映会なども開きたいという
小泉さんがベルリンへ派遣された当時は、プロのアーティストとして活動を始め数年経った頃。ヨーロッパのアートの中心地であるベルリンには美術館やギャラリーが数多く、アーティストもたくさん住む。アーティストたちとの交流は刺激的だったが、それ以上に衝撃だったのが、ベルリンの街そのものと小泉さんは振り返る。
「この街が体験した過去の出来事が、今も建物や記念碑として残っていて、街全体が荘厳な歴史博物館のようでした。日本のように建物をどんどんつくり変えていく社会には到底できない歴史との向き合い方が実践されていて、毎日ベルリンの街を歩くだけで刺激を受けていたのを覚えています」

2010年、ベルリンを訪ねてきた父と合作した思い出。父が幼少期に見たB29を壁にドローイングしている
ベルリンの壁やホロコーストの記憶を留める記念碑周辺を散歩したり、ヒトラーがかつて使った建物の間をジョギングした。歴史の蓄積の中に身を置くことで初めて見えた、アートと社会の関係がそこにあった。
「美術館での非日常的な芸術体験ではなく、街を歩いていたらぽっと記念碑に遭遇するように、人々の生活と芸術がすごく近いんですね。過去の記憶を残す装置として芸術が使われている。より人々に近い芸術のかたちがそこにあると感じました。自分も作品をつくっていく上で、人々に近いところで芸術を機能させたいというチャレンジの芽を植えつけられた気がします」
また、負の歴史はどこまで追体験できるのか、またはできないのかを試したくて、ベルリンから電車を乗り継いでポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れた。過去の壮絶な悲劇の現場に最初は激しくショックを受けた。しかし半日後にはそのショックにも慣れてしまい、そのことが再びショックだったという。
「想像を絶するような悲劇によって、自分の想像力の限界に行き着いてしまった。負の歴史を語ること、表象することの難しさを突きつけられました。それでもそこに限界=リミットはあると知った上で、アーティストとして、あらゆるメディアを使って作品をつくり続け、想像力のリミットに何度でも挑戦しなければならないと思いました。2009年にそう感じて以来、ずっと今でもそのことを続けているように思います」

《ヴィジョンの崩壊》2011年 2チャンネルビデオインスタレーション 原美術館での展示風景

《若き侍の肖像》2009年 2チャンネルビデオインスタレーション 原美術館での展示風景 Photos: Keizo Kioku
ベルリン滞在後の2011年、原美術館で開催された成果発表展「アート・スコープ 2009-2011―インヴィジブル・メモリーズ」では、戦争をモチーフにした2本の映像作品を発表した。展示室の天井が低い特性を生かして、人間のささいな表情や息遣いが感じ取れるように音と映像を設定した。「何の制約もなく自由にやれた」というその会心の展示が、ニューヨーク近代美術館(MOMA)のキュレーターの目に止まり、MOMAの プロジェクトスペースでの個展が決まった。また2012年には世界の35歳以下のアーティストを対象にした「Future Generation Art Prize」の最終候補となり、以降、国際展への招待も相次ぐようになる。メルセデス・ベンツ アート・スコープをきっかけに、小泉さんはインターナショナルなキャリアを一気に駆け上がる。
「キャリアの浅い作家がいきなりMOMAで個展をしたのは、大きな飛躍となりました。キャリアアップのチャンスをこのプログラムでいただけたことに感謝しています」

《証言の天使たち》2019年 ビデオインスタレーション アルテス・ムンディ9(カーディフ、ウェールズ)での展示風景 Photo: Stuart Whipps
パンデミック後の社会と文化芸術の役割
2020年7月、新型コロナウィルスによるパンデミックで世界が揺れるさなか、小泉さんは「メルセデス・ベンツ アート・スコープ 2018-2020」の招待作家として、再び原美術館で展示を行った。コロナ禍で移動の自由を奪われ、先が見えない中での制作は苦しかったが、無理やり自分をプッシュして、映像を使わない新たな作品に挑んだ。
「あの頃は誰もがどうしていいかわからなかった時期でした。人に会えず普段どおりに映像が撮れる状況ではなかったし、一日中リモートで映像を通してコミュニケーションする習慣も生まれていました。だから映像作品を見せるよりも本当の原美術館の空間を体験してほしいと思ったんです」


《アンティ・ドリーム #1 (彫刻のある部屋)》2020年サウンド・スカルプチャー(サウンド・デバイス、ヘッドフォン、ムービングヘッド・ライト、コラージュ、空っぽの部屋)原美術館での展示風景 Photos: Keizo Kioku

《アンティ・ドリーム #2(祝祭の彫刻)》2020年 サウンド・スカルプチャー(街中にてお聞きください)音声ダウンロード meirokoizumi.com Photo: Keizo Kioku
音と光で催眠的効果を与え、鑑賞者の思考と感情を揺さぶる作品《アンティ・ドリーム》は、美術館でのインスタレーションだけでなく、ホームページで音をダウンロードして街の中で聞くバージョンも制作した。コロナ禍の不確実な状況そのものを作品化できたことで、その後の作品の方向性が定まった。最近は、人々の眼差しを左右する社会や言葉の複雑な構造を解き明かそうと、音と視覚効果で観客の想像力に介入するVR作品や、催眠術を取り入れた作品に取り組んでいる。

《縛られたプロメテウス》2019年 VRシアター

《グッド・マシーン バッド・マシーン》2022年 ビデオ・インスタレーション 森美術館での展示風景
ベルリンで人々に近い芸術を経験し、それからさまざまな土地で作品を通して人々と交わってきた小泉さんは、パンデミックを経て不安定な時代のアートと社会の関わり、そしてアーティストの役割を明解な言葉で語る。
「文化は社会の価値観をつくる必要不可欠なインフラです。社会に導入される文化=プログラム次第で、戦争を起こすことも平和もつくることができます。差別を助長してしまうようなプログラムも可能な一方で、他者への寛容さや多様性を尊重する価値観もまた、文化によって育まれるものです。イメージによって社会はつくられ、そのイメージを扱うのがアーティストです。多様性を愛し、環境を守る文化をつくるためにどのようにアーティストは関われるかをいつも考えています」
そして文化を支援する側の多様性にも期待する。
「さまざまな表現者がサポートされて多様性が守られることよって、文化は生き永らえる。そこから平和やよりよい社会がつくられていくと思います。ナイーブに聞こえるかもしれませんが、僕はそう信じています」
小泉明郎
1976年群馬県生まれ、横浜市在住。国際基督教大学卒業後、チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン(ロンドン)、ライクス・アカデミー(アムステルダム)にて学ぶ。これまでの主な個展に「Dreamscapegoatfuck」(無人島プロダクション、2019)、「バトルランズ」(ペレス・アート・ミュージアム・マイアミ、2018)、「捕われた声は静寂の夢を見る」(アーツ前橋、2015 )、「Projects 99: Meiro Koizumi」(ニューヨーク近代美術館、2013)など。主なグループ展に「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」(森美術館、2022)、「アルテス・ムンディ 9」(国立カーディフ博物館、2021)、「メルセデス・ベンツ アート・スコープ 2018-2020」(原美術館、2020)、「あいちトリエンナーレ2019」(2019)、「シャルジャ・ビエンナーレ14」(アラブ首長国連邦、2019)、「第12回上海ビエンナーレ」(2018)、「フューチャー・ジェネレーション・アート・プライズ @ヴェニス 2013」(パラッツォ・コンタリーニ・ポリニャック、ヴェニス、2013)、「アート・スコープ2009-2011」―インビジブル・メモリーズ(原美術館、2011)など多数。2021年文化庁メディア芸術祭アート部門大賞を受賞。国内の主要現代美術館をはじめニューヨーク近代美術館、テート・モダン、M+など世界各地の美術館に作品が所蔵されている。