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メルセデスが生んだ「パッシブセーフティ」のこれまで、そして未来へ

translation: Masanori Yamada

優れた構造と技術によって乗員を事故から守ること──。メルセデス・ベンツは継続的な研究開発のもといくつもの革新的技術を生み出し、20世紀半ば以降、受動的安全=パッシブセーフティの先駆者を担ってきた。

「誰もが安全に操作できる自動車」を定義する

安全強化ボディ/体系的な衝突実験の開始(1959年)、実際の交通事故調査・分析(1969年)、自動ロールオーバーバー(1989年)に代表される重要な業績の節目を迎えた2019年の現在、その伝統は安全技術全体の統合=“Intelligent Drive”にカタチを変え、次の時代へ向かい始めている。

自動車という革新的な発明を誰もが安全に操作できることは、生みの親であるカール・ベンツやゴットリープ・ダイムラーにとって重要事項だったことは言うまでもないが、その意味では、メルセデス・ベンツの安全性開発の起源は自動車の誕生と同じくらい古いと言える。しかし、20世紀前半は、当時のダイムラー・ベンツをしても、この分野に関する体系的な研究は欠けていた。

転機をもたらしたのはオーストリア人の自動車エンジニア、ベラ・バレニーである。その当時から「自動車は安全な乗り物でなければならない」を信条としていた彼はダイムラー・ベンツへの入社面接時、安全な自動車のための7つのビジョンを説明。類い希な先見性と才能に惹かれたダイムラー・ベンツ社長ヴィルヘルム・ハスペル博士によって、1939年8月1日に設立されたばかりの安全性の研究開発部門に配属された。

バレニーは1966年、メルセデス・ベンツの開発マネージャーに任命されたハンス・シェレンバーグとともに、アクティブセーフティ=能動的安全とパッシブセーフティ=受動的安全の基礎を作り上げていく。自動車が運転操作に介入する能動的安全とは異なり、受動的安全は文字どおり、事故の衝撃および影響から乗員を守ることに主眼を置いたもの。そしてバレニーは、そのために必要なアイデアを明確に持っていたのである。

メルセデス・ベンツで過ごした1939~1972年の間に、車両の安全性に関する革新的な技術の特許を約2500件も取得した功績が認められ、1994年に米国ミシガン州メディアボーンの自動車殿堂入りを果たしたバレニー。“ミスター・セーフティ”と呼ばれた彼が同年にこの世を去ったことで、メルセデス・ベンツの受動的安全研究開発の第一章は幕を下ろしたのだった。

バレニーとシェレンバーグによって確立されたメルセデス・ベンツの予防安全と受動的安全は、2000年代初頭から統合安全性の考えのもとで融合するようになり、“Intelligent Drive”の概念へと繋がっていく。

衝突テスト、60年の歩み

ジンデルフィンゲン工場で完成車による系統的な事故テスト=衝突テストを開始したのは、60年前の1959年9月10日のこと。

メルセデスが生んだ「受動的安全」のこれまで、そして未来へ

また、車両の部品が事故の際にどのようになるのかを1956年まで遡り、実験車両を使っての検証も行なった。一般の路上で実際に起きた交通事故を50年間にわたって調査・分析している事故研究部では、実験で得られた結果とあわせ、その知見を包括的な安全性能開発へフィードバック。これらはまさに、メルセデス・ベンツの受動的安全に関する技術革新を生み出す原動力にほかならない。

研究用車両の開発

1970年代のESV(Experimental Safety Vehicle=実験安全車)プログラムをはじめ、自動車の安全性に関する世界的研究にも参画しているメルセデス・ベンツは、ESF(Experimental-Sicherheitsfahrzeug / エクスペリメンタル・ズィッヒャーハイツ・ファールツォイク)と呼ぶ様々な研究用車両の開発を行っている。Sクラス(W 116)をベースにした1974年の研究用車両ESF 24では、現在の受動的安全の常識となったエアバッグやベルトフォースリミッター(衝突時にシートベルトの拘束力を一定レベルに保ちながら少しずつゆるめることにより、乗員の胸部に加わる衝撃を緩和する装置)のテストを行った。

メルセデスが生んだ「受動的安全」のこれまで、そして未来へ

1989年のSLクラス(R 129)で実用化したシートベルト機構内蔵の一体型シートは、W 126のESFから誕生したものである。

「万が一」に備える技術革新

“ミスター・セーフティ”ことバレニーが最初に取り組んだのは、新しいフロア構造=プラットフォームのテストと開発である。彼が考案した新規のフロアアッセンブリは走行時の不快な揺れや振動を大幅に抑制するだけでなく、従来のチューブラーフレーム(中空の管材を用いて組み立てたフレーム)では実現しえなかった、側面衝突の衝撃から乗員を守る高い堅牢性を備えるものだった。

車体テストや製造部門の責任者を務め、車両の安全開発研究にも携わっていたエンジニアで、バレニーの同僚ウィルフェルトは、1949年4月にウェッジ(くさび型)ピンドアロックの特許を申請。このドアロックは、事故の衝撃でドアが開くことを防ぐと同時に、救出の際には容易にドアを開けられる画期的なものとして、1958年に特許登録される。また同じ年、メルセデス・ベンツは前席用シートベルトをすべての乗用車モデルに設定。ドイツ連邦共和国が義務化を制定する18年前のことだった。

安全性を具現化した名車“フィンテール”

パッシブセーフティのブレークスルーは、1950年代初頭のバレニーのアイデアからもたらされ、1959年デビューのW 111シリーズで具現化する。

メルセデスが生んだ「受動的安全」のこれまで、そして未来へ

ウェッジ(くさび型)ピンドアロックと衝撃吸収パッド付きステアリングホイールを初めて同時に備えた広い車内は、レイアウトの自由度が大幅に増したうえ、W 111シリーズの愛称である“フィンテール”が象徴するように、外観もこれまでにないデザインが採り入れられていた。

それを可能にしたのが、強固なキャビンの前後に設けられた、衝突の際に発生する運動エネルギーを吸収するためのクランプルゾーン(クラッシャブルゾーンとも呼ばれる。衝突時の衝撃を吸収する領域の意)。安全性以外の部分にも大きな影響を与える革新的なボディ構造はまさに、受動的安全におけるひとつの到達点といえるだろう。

メルセデスが生んだ「受動的安全」のこれまで、そして未来へ

量産モデル向けの運転席用エアバッグを初めて採用

何十年にもわたって絶えず受動的安全の性能向上に努めてきたメルセデス・ベンツにとって、電子技術とセンサーシステムの進歩は欠かせないものであり、それは自動車の安全性に大きな貢献をもたらすものである。例えばエアバッグひとつとっても、デジタル技術なしでは実現しないからだ。

1966年に研究開発を始め、関連する特許を1971年に登録したメルセデス・ベンツが、量産モデル向けの運転席用エアバッグを初めて採用したのは1981年のSクラス(W 126)だ。センサーが事故による衝撃を検知するとコントロールユニットが作動し、必要に応じてエアバッグを膨らませるという基本原理は今日も変わりなく、ベルトテンショナーとフォースリミッター付き(衝突時にシートベルトの拘束力を一定レベルに保ちながら少しずつゆるめることにより、乗員の胸部に加わる衝撃を緩和する装置)シートベルトの拘束力を補完する位置づけも同様。SRS(Supplemental Resraint System=補助拘束システム)エアバッグと呼ばれるのはそのためだ。

メルセデス・ベンツが1987年のSクラスで助手席用エアバッグも採用すると、エアバッグは自動車の安全性能おける重要な存在として認知され、瞬く間に自動車業界全体に普及。今日のメルセデス・ベンツの車両には、ニーバッグ(ひざ部の衝撃を緩和する乗員保護補助装置)、サイド/ウィンドウエアバッグ、ベルトエアバッグなど、多くのエアバッグが装備している。

受動的安全と優れた車両デザインの両立

1989年3月のジュネーブモーターショーで発表したSLクラス(R 129)には、シートベルトとベルトテンショナーを組み込んだ一体型シートと、横転時に乗員を保護するためにバーが自動で飛び出すロールオーバーバーの2つの特徴的な安全装備が搭載された。

高強度スチールチューブ製のロールオーバーバーは横転時にわずか0.3秒で飛び出し、乗員の生存スペースを確保するものだ。これは高度な電子技術とセンサーシステムが可能にしたものだが、もうひとつ重要なことは、通常時はオープントップのドライブを邪魔しないよう、また、車両のフォルムを崩さないようコンパートメントにすっきり収納されている点にある。高い受動的安全と優れた車両デザインの両立、いわば広義の包括的設計は、メルセデス・ベンツにとって重要な要件なのである。

メルセデス・ベンツが80年の間に開拓し、成し遂げてきた受動的安全に関わる多くの革新は、自動車業界全体にとって今や不可欠なものとなった。もちろんメルセデス・ベンツはこれからも、さらなる研究開発を推し進め、自動車の安全性の未来を切り拓いていく。

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