クルマの新しい「価値」が生まれた、記念すべき年
安全性と快適性のための革新は、いつの時代も自動車の未来を切り拓く大きな動力源。メルセデスはおよそ60年前から、この分野で先駆的なソリューションの数々を生み出してきた。

シートベルト、パワーステアリング、空調システム(エアコン)、さらに大量生産における燃料噴射システム(インジェクション)の確立は、そうしたものの代表例。いずれもたゆまぬ研究開発によって理想を具現化したものであり、これらの数多くをメルセデス・ベンツが生み出したのは、およそ60年ほど前のことであった。
画期的な安全構造ボディの開発
1958年7月に特許を申請したウェッジ(くさび型)ピンドアロックは、事故の際にもドアを容易に開けられるようにするアイデアとして、独立したフレームを持つ革新的な安全構造ボディに、印象的なテールフィンが与えられたW111シリーズに採用。同年6月にはオプションとしてチャイルドロックを設定した。

デザインスタジオに置かれた、「フィンテール」の愛称で知られる220 SE(W111:1595~1965)。
「締めて当たり前」の世の中へ
1950年代は、右肩上がりの交通量に比例して増加する事故が社会問題として認識されるようになった時代でもある。メルセデスの技術者たちが考案した、自動車の安全装置において今も欠かせないシートベルトの“原型”が実用化されたのは、ドイツ連邦共和国での義務化がなされる18年も前のこと。300 SL ロードスターとともに世に送り出されたシートベルトは、航空機同様の高い設計レベルによるものであった。

当初オプションとして用意されたシートベルトは、300 SL ロードスターのラジオデッキが810ドイツマルクだったのに対し、1シート110ドイツマルク。220 S(W180)では120ドイツマルク、300(W189)でも150ドイツマルクと安価で、ゆえに、より一層の普及と継続的な性能強化が図られていった。リール式の巻き取り装置を備える現在の3点式になったのは1960年代も終わりのこと。1973年には乗用車モデルすべての前席に、1979年には後席にも装備されるようになった。

1960年代の終わりに誕生した、現在のシートベルトの“原型”。
安全運転に貢献する“ドライバー・フィットネス”
第二次世界大戦によって中断していた研究開発は1948年5月、受動的安全性をより高めることに焦点を当て再開された。そして開発されたのが、パワーステアリングと空調システムであった。

重いステアリング操作や暑い車内からドライバーを解放すること。「運転時のストレスを減らすことが、ひいては安全につながる」――安全な運転に貢献するこの考えはのちに、“ドライバー・フィットネス”という用語で定義されることになっていった。
1958年3月から、300(W189)のオートマチック仕様にまずはオプションとして設定されたパワーステアリング。これを最初に採用したのは、西ドイツの初代連邦首相、コンラート・アデナウアーが愛用し、“アデナウアー・メルセデス”の愛称知られる当時のメルセデスの最高級モデルだった。この年の12月には空調システムもオプションで用意されるようになり、クーラーとして主に、熱帯気候の国の顧客に提供。3500ドイツマルクは小型大衆車1台分に相当する価格だったが、画期的な製品として好評を博したのだ。

コンラート・アデナウアーの最後の公用車、メルセデス・ベンツ 300 d(W189:1957~1962)。
「自動車の生みの親」の使命を決定付けた転換期
独立フレームによって安全性を高めた、安全構造ボディの200 SE(W128)の開発過程では、燃料噴射システム(インジェクション)の実現も同時に目指した。システムの技術理論はすでに完成していたが、大量生産モデルにおける採用はこのときが初めて。従来のキャブレター式と1900ドイツマルクで置き換えることができた新しい技術は、出力と効率を大きく向上させた。
自動車を生み出し、安全を第一義として発展してきたメルセデスにとって、1958年からの数年間は、歴史的な転換期だったのだ。

W180に備えられたシートベルト。初期のものは2点式だった。