PROFILE
阿部裕介 / Yusuke Abe

1989年東京生まれ。青山学院大学経営学部修了。学生時代からアジアやヨーロッパを旅し、写真家として活動する。ネパール大地震による被災地支援をはじめ、女性強制労働問題にフォーカスした作品『ライ麦畑に囲まれて』、パキスタン辺境に住む人々の生活を捉えた『清く美しく、そして強く』など世界各国で撮影を経験。日本での活動としては、家族写真を撮影するシリーズ『ある家族』を発表している。
気仙沼の漁師町で出会った“名物女将”

宮城県・女川港を後にした僕は、Eクラス ステーションワゴンに乗り、三陸自動車道の北に進路を向けた。目指すのは気仙沼市の東に位置し、宮城県の最北東端にある唐桑町だ。窓からは三陸海岸特有の入り組んだリアス式海岸がとても美しい。このクルマの安定した走行性のおかげで、ストレスもなく2時間足らずで到着した。
やってきたのは今日の宿、勇ましい日本家屋が目を引く民宿「つなかん」だ。この造りは、唐桑御殿といって、この地区で見られる入母屋造の日本家屋の総称だそうだ。海の上で長い間働く漁師が、ゆっくりと休息を過ごしたり大勢で宴会ができるよう立派に造られているらしい。到着するやいなや「おかえりなさーい!」と、女将の菅野一代(かんのいちよ)さんが元気いっぱいに出迎えてくれた。笑顔が眩しい彼女は、地元のみならず全国の宿泊者たちから、唐桑の名物女将として親しまれているそうだ。
唐桑のコミュニティハブに惹きつけられて

「つなかん」はもともと一代さんの自宅だった。一代さんは、かつてカキやホタテの養殖業を営んでいたが、10年前の震災で津波が押し寄せたことで“カキむきナイフ1本も残らず”流されてしまったという。残ったのは、家の屋根と柱のみ。「最初は辛かったですよ。でもある時、学生ボランティアの方々から『屋根のあるところに泊まらせてくれませんか?』と相談を受けたので、解放したんです。すると、全壊した家に明かりが灯って、泊まる方たちの笑い声が聞こえるようになってきた。本当に嬉しくてね」

一代さんは、この出来事が忘れられなかったそうで、学生ボランティアが帰った後もこの家をコミュニティの拠点として残せないかを考え、民宿として再生させたという。すると、かつて唐桑でボランティア活動をしていた在京の人や、気仙沼出身のアーティストなどが「つなかん」に集まってくるようになった。一代さんが、かつて絶望の縁で見た“光”が、この唐桑御殿に再び灯るようになってきたのだ。その光を灯す一人が「東北に100のツリーハウスを作ろう」をコンセプトに活動する、一般社団法人東北ツリーハウス観光協会の斉藤道有さんだ。
作って終わりじゃない。ツリーハウスが人を集めるきっかけを作る
(※写真1枚目は、ツリーハウスと斉藤道有さん家族。2枚目は、「つなかん」隣のツリーハウス「TUNAMARU」内から見える、唐桑町の鮪立漁港)
斉藤さんは、気仙沼出身の美術家だ。気仙沼で震災を体験したことから、地元に戻って活動している。2013年にほぼ日の代表である糸井重里さんと一緒に新しいプロジェクトを構想していた際、以前から親交のあった一代さんに、母親の実家がある唐桑でツリーハウスを作ろうと持ちかけたのだそう。その後生まれたのが「つなかん」の隣に建てられているツリーハウス「TUNAMARU」だった。「糸井さんとお話ししているうちに東北にみんなが来たくなるような夢を語れる場所をつくりたい、という想いが湧いてきてこの活動がスタートしました」

斉藤さんは、2013年に東北ツリーハウス観光協会を設立。ツリーハウス作りを始める際に気をつけたのは、建築家などの専門家を入れないことだったという。「重要なのは『やりたいことをまずは自分たちでやってみる』ことでした。なぜなら、ツリーハウスはどんな人でも関われる『みんなのもの』にしたいと思ったからです。これまで12棟作ってきましたが、実際に使ってもらうだけでなく、コミュニティのシンボル的な存在になったり、イベントに利用してもらったり、様々な用途で活躍しています。僕の本業はアーティストですが、東北ツリーハウス観光協会では“コミュニティビルダー”という肩書きを持っていて。つなかんと同様、ツリーハウスを起点に、その場所ごとに根付くコミュニティを活性化させていきたいんです」
ツリーハウスは、場所と人が使い道を決めていく

斉藤さんが気仙沼に呼び込んだ新しい風は、この場所に住む人々にも届いている。気仙沼で、子育てをしながら働ける基盤作りに取り組む「NPO法人ピースジャム」の佐藤賢さんもその一人だ。佐藤さんは、斉藤さんと同じ気仙沼高校の出身だそうで、震災前はバーテンダーとして働いていたとか。「うちでは、妊婦さんや小さな子を持つお母さんたちとジャムづくりをしたり、赤ちゃんが使える万能タオルを縫製したりしています。そんな活動をするなかで、なにかシンボルが欲しいなと思うようになったんです。ちょうど、斉藤さんが気仙沼でツリーハウスを作る活動をしていたので、一緒にトライしてみました。完成すると、お母さんと子どもが木陰やウッドデッキでお昼ごはんを食べたり、ツリーハウスを眺めるために来てくれる人もいて、人によってツリーハウスの使い方が違うことが分かって、それがとても面白いと感じましたね」

ピースジャムの敷地内に建てられているツリーハウスは、大きなケヤキの上にある。3つのはしごの先にある部屋は、まるで雲に浮かぶ船のイメージ。太い枝が屋根から突き出した個性的な造形や木の高さを生かしたブランコからは、癒しと遊び心を感じた。登って景色を眺めてもいいし、木の下でピクニックをしてもいい。時には、ただ昼寝するだけでもいい。ツリーハウスがあれば、人が集まる場所ができる。そこから何か新しい発見や驚き、感動が生まれる。人々が笑顔になる場所を想像しながら、僕はゆっくりとシャッターを切った。
「出船おくり」で見た、別れの美しい姿
ツリーハウスの撮影を終えて「つなかん」に戻った僕に、女将の一代さんが「出船おくり」が明日行われることを教えてくれた。出船おくりとは、漁に出る船を乗組員の家族や友人、船主など、関係者が航海の安全と大漁を願って岸壁から見送る気仙沼の行事だ。出港する第88清福丸は、10ヶ月にわたるマグロの遠洋漁業に出るとのこと。こんな機会に遭遇することなんて滅多にない。急遽予定を変更して撮影したいと申し出たら、ありがたいことに許可をもらえることになった。
翌日、出港を祝福するかのような青空が一面に広がっていた。港にはたくさんの人が集まり、乗組員が家族や友人としばしの別れの挨拶を交わしていた。出発時間が訪れると、少しずつ離れていく船に向かって、岸壁で見送る人たちは色とりどりの紙テープの装飾と共に大漁旗を力一杯振り、一斉に「いってらっしゃーい!」と声を上げた。その中で、一際大きな声で見送り、船が見えなくなるまで手と旗を振り続けている、どこか見覚えのある女性がいた。昨日「つなかん」で撮影した気仙沼への移住者、根岸えまさんだ。しかも聞けば彼女は1日目に訪問したフィッシャーマン・ジャパンの活動に携わっているのだという。「私たちのために命がけで魚を獲ってきてくれる漁師さんたちは、これから海に出たら10ヶ月も家族や友人に会えないんです。だから帰ってくるまで、最後に見た故郷の景色がこの出船おくりで、旗を振っている私たちになる。だったら、少しでも彼らの糧になれるように、全力で見送りたいんです」と語るえまさん。ここまで全力の「いってらっしゃい」を聞いたことはない。その一途な姿を目の当たりにして、僕は思わず涙を浮かべていた。
気仙沼が教えてくれた、家族のかたち

2日目で撮影した、つなかんの一代さん、ツリーハウスの斉藤さん、そして出船おくりのえまさん。これらを個別で見ると、一見何の繋がりもないように感じる。でも、気仙沼に住む人々をカメラで追っていると、彼らはみんなが繋がっていることに気づく。家族のかたち、コミュニティのかたち、作られた場所の違いはあるけれど、とても絆は強い。

だから、僕はこれからもここにいる人たちを追っていきたいし、もっと分かりたいと感じた。しかし、心残りだけども次の場所へ向かわなければならない。Eワゴンに乗り、シートベルトを締めてエンジンをかける。出船おくりの興奮が冷めず、心臓音がエンジンと共鳴している。ちょっと落ち着いてからアクセルを踏むことにしよう。
ABOUT CAR
E 200 STATIONWAGON
クルマの常識をアップデートし続け、世界が指標とするEクラス。ステーションワゴンはEクラスに積載性をプラスした派生車種のひとつ。よりダイナミックかつスポーティなエクステリアの刷新、MBUXの新機能であるARナビゲーションに加え、進化したステアリングホイールが標準装備されている。