
モータースポーツは主役たるドライバーの評価が非常に難しいスポーツだ。オリンピック種目のスポーツに参加する選手は肉体的な優劣で勝敗が決まる場合が多いが、モータースポーツはそうはいかない。なぜなら、複雑な機械の集合体であるクルマという道具を使うからだ。そして、その道具であるクルマの性能が勝敗の要素の大きな部分を占める。特に、F1グランプリになると、クルマの性能次第で勝敗が決まる場合が多い。ただし、与えられたクルマの全性能を無駄なく引き出す才能を持ったドライバーが操る場合という条件が付く。現役グランプリ・ドライバーの多くはその条件を満たすが、中でも飛び抜けた存在といえばルイス・ハミルトンを置いて他にいない。

今年のF1グランプリは新型コロナの猛威のせいで1年の前半はほとんどのレースが中止、後半6ヶ月の間に17戦ものレースが詰め込まれた。予定では22戦が組まれていたが、さすがに日程的に厳しかったようだ。そして、第13戦エミリア・ロマーニャGPでメルセデスF1チームがコンストラクターズ・タイトルを獲得、翌第14戦トルコGPでルイス・ハミルトンがドライバーズ・チャンピオンに輝いた。ハミルトン自身、7回目のタイトル獲得で、ミハエル・シューマッハの記録に並んだ。優勝回数は95。これはシューマッハの91勝を上回る史上最多勝記録だ。今年だけでも11勝を挙げ、他の追随を許さない。そして今まさに脂ののりきった35歳。この先、彼の持つ記録はどこまで伸びるか考えただけでもワクワクする。

ミハエル・シューマッハの歴代最多勝記録を更新し、歴代最多タイトル獲得数に並んだ、トルコGPでの祝勝シーン。メルセデスF1チームはシューマッハとフェラーリが築いた黄金期を上回るコンストラクターズ・タイトル7連覇も達成
しかし、20人の世界屈指のドライバーが集うF1グランプリで、なぜハミルトンだけがこれほど飛び抜けた成績をあげることができるのか? そこには、彼だけが持つ、他のライバルには備わっていないとさえ思える力があるからだが、そのハミルトンの力を受け止めて成績に結びつけられるだけの性能を持つクルマをメルセデスが用意したという点は重要だ。さらに言えば、メルセデスの持つ高い性能をすべて引き出す才能を持ったハミルトンは恐るべしである。

メルセデスF1チームの代表トト・ウルフはこう言う。
「確かに我々のメルセデスは今のF1マシンの中では最高のクルマだと自負している。つまり、ハミルトンは最高のクルマでF1グランプリを戦っているということだ。そして、彼はメルセデスの持つ全性能を引き出す。それも常にそうだ。最高レベルでそれをやり遂げていることを我々に証明している」
今年ハミルトンが戦ったレースで最も印象的なレースはと問われたら、躊躇なくトルコGPを挙げる。彼は第14戦トルコGPで優勝してドライバーズ・タイトルを決めたが、その勝利は彼でなくては成し遂げられなかった偉業といえた。
Turkish Grand Prix Gallery
トルコGPの開催は突然決まった。コロナ禍でレース数、開催場所が頻繁に変更になる中、ヨーロッパ中心のレースが多くなることは避けられない事態だった。突然決まったレースは、F1グランプリを開催するのが初めてのサーキット、かつて開催したことのあるサーキットなどがリストアップされ、トルコもその中のひとつだった。トルコGPは2005年に初開催、2011年まで7回行われたが、以降10年間F1から遠ざかっていた。それが突然の再開で急遽施設の改修などが行われ、コースの再舗装もなされた。そこに問題が生じた。レースは舗装をやり直してわずか10日後に開催されたこともあり、コース表面は鏡のように滑らかになり、加えてアスファルトの油が表面に浮いて、タイヤはズルズルと滑りグリップしないのだ。「ストレートでもアクセル全開に出来ないほどタイヤのグリップがない」というドライバーもいた。
実は、今年のメルセデスは後輪の温度上昇に関して問題があった。タイヤは温度が上がらなければグリップ力は得られず、ラップタイム向上には寄与しない。チームの計算ではトルコGPのコースで十分なタイヤ温度を得るには7周が必要だった。それでは予選で好タイムを出すことはできず、ハミルトンはポールポジションを獲得したレーシングポイントのランス・ストロールから5秒以上遅れて5番手の予選ポジションに甘んじることになった。
しかし、ひとたび後輪の温度が上がると、ハミルトンの駆るメルセデスは猛烈な速さを発揮した。レースでは毎周1〜2秒のタイム短縮を図りながら、瞬く間にトップグループに追い付き、それを抜き去ってトップでフィニッシュしたのだ。ゴールしたときの前輪にはまったく溝が残っておらずスリックタイヤのようになっていたが、ハミルトンはそれを見事にコントロールした。今年のグランプリの中でこのトルコGPこそハミルトンの才能が最大限に発揮された最高のグランプリだったと言えよう。

7度目のドライバーズ・タイトルを獲得した瞬間、勝利を噛み締め、歓喜のあまりうずくまるハミルトン
そもそも彼はアンダーステア気味のクルマが好みだ。後輪がしっかりと路面をグリップしていたら、前輪はやや滑り気味でも見事にコントロールする。多くのレースで他のドライバーがタイヤ交換する中、ハミルトンは長い間交換しないでタイヤの寿命が尽きるまで走り続ける場面がよく見られた。それこそハミルトンの真骨頂で、そこでライバルに対して大きなアドバンテージを獲得するのだ。タイヤを使い切るにはクルマのサスペンションの構造まで知識として頭に入れておく必要がある。メルセデスはリア・サスペンションの下部アームが通常より後方に取り付けられている。これはリヤ・タイヤの内側の空気の流れを良くするためで、そのおかげでリヤ・ディフューザーへ大量の空気が流れ込み、巨大なダウンフォースを発生させる。ハミルトンはそのシステムを理解し、後輪の温度が適温になることを知った上でクルマを運転するのだ。
こうした理解は、彼がチームのエンジニアと積極的に情報を共有する姿勢から生まれる。それは何度もチャンピオンに輝いた今でも変わらない。メルセデスのエンジニア、アンドリュー・ショブリンは、「ルイスはクルマの知識が豊富な上に、それを走りに繋げることができるドライバーだ。状況が変わってもどう対処すればいいかすべて理解している。だからレース中、我々は彼に対して何も言わない。彼は何をやればいいかすべてわかっている」と言う。

もちろん、王者ハミルトンとて一朝一夕に誕生したわけではない。長いレース・キャリアを積み、運転の技量を研鑽し、クルマに対する理解を重ね、チームの中でいかに振る舞うかを修得してきた。その結果として前人未踏の記録を打ち立てることができたのだ。ハミルトンが2013年から所属するメルセデスF1チームの代表トト・ウルフは、ハミルトンをこう表現する。
「我々はハミルトンに最高の環境を与えるように努力している。ハミルトンはそのことをよく理解しており、メルセデス・チームの中に自分の居場所を作り、それを永年揺るがないものにしてきた。それが彼の強みになっている。とにかく彼には才能があり、正確な仕事をし、チーム内で一緒に作りあげたものをみんなで共有する。これがハミルトンの力だ。正直で、他人の努力を認め、隠し事をせず、傷つくことを恐れず本当のことを言う。チームが必要だと思ったことをハミルトンは与えてくれる」
誰もが尊敬し、ライバルが畏怖し、仲間が共感する希有な存在。それがメルセデスF1チームとルイス・ハミルトンという存在である。

トルコGPにて歴史的勝利を喜び合うハミルトン(写真左)とメルセデスF1チーム代表のトト・ウルフ(写真右)

アブダビGPを最後に、2020年シーズンを戦い終えたメルセデスF1チームのマシン「W11 EQ Performance」