最高速度300km/hを越えるマシンで世界21ヶ国を転戦するF1グランプリはモータースポーツの世界最高峰である。マシン開発に必要な技術力、ドライバーの技量、およそ2秒(!)で4本のタイヤを交換するチームの作業能力など、どの点をとっても自動車レースの頂点に君臨しているのがF1グランプリといって間違いない。ところが、現代のF1マシンに積まれているエンジンは排気量がたったの1.6 ℓで、エコカーでお馴染みのハイブリッドシステムが組み合わされている。さらにいえば、メルセデスAMGペトロナスが歴史的な成功を収めたのはF1グランプリにハイブリッドシステムが導入されて以降のことだったといっても過言ではないのだ。

燃費を改善してCO2排出量の削減にも役立つハイブリッドシステムだが、使い方次第では驚くべきハイパワーをも生み出す。たとえば、F1エンジンの排気量は前述のとおり1.6 ℓだが、エンジン+ハイブリッドシステムにより最高出力はメルセデスAMG GT 63 S 4MATIC+の639psを上回る1000ps以上とされる。
そもそもF1エンジンのハイブリッドシステムには量産車とは比べものにならないほど高度なテクノロジーが採用されている。そしてその役割があまりにも大きいため、いまではF1エンジンではなくF1パワーユニットと呼ばれる。エンジンとハイブリッドシステムが高度に融合され、もはやふたつを切り離して考えることができなくなった結果と捉えていいだろう。

今でこそハイブリッドシステムの採用が義務づけられているF1グランプリだが、その使用が初めて認められた2009年は、ハイブリッドシステム(当時はKERSと呼ばれていた)を使うことも、そして使わないこともチームの判断に委ねられた。このため多くの上位チームはそのパフォーマンスが未知数だったハイブリドシステムの搭載を見送ったものの、メルセデスはハイブリッドシステムと組み合わせたF1エンジンを提携先のマクラーレンに供給。実戦でその可能性を探ることにした。すると、第10戦ハンガリーGPでマクラーレン・メルセデスのルイス・ハミルトンが優勝。これこそ、ハイブリッドシステムがF1グランプリで挙げた史上初の栄冠となったのである。
メルセデスのF1用ハイブリッドシステムはここを出発点として発展していったわけだが、過去10年間におけるその技術的進化は驚異的といって間違いない。メルセデスがこのシステムを初めて試作したのは2007年。そのときはバッテリーパックの重量が107kgで、ハイブリッドシステムで回収したエネルギーのうちバッテリーに貯蔵できたのはたった39%だった。それが、わずか2年後の2009年には25.3kgまで軽量化。エネルギーの貯蔵効率は70%へと跳ね上がった。
2014年にはF1エンジンとハイブリッドシステムに関連する規則(レギュレーション)が現在と近いものに刷新され、エンジンがそれまでの自然吸気式V8 2.4 ℓからV6 1.6 ℓターボに改められるとともに、量産車と共通するブレーキ回生によるハイブリッドシステムに加えて排気エネルギーからエネルギーを取り出す革新的なハイブリッドシステムの搭載が義務づけられた。
メルセデスAMGペトロナスのF1グランプリにおける快進撃は、これと時を同じくして始まった。ちなみに、この年のバッテリー重量は20kgだったが、これは規則で定められた最低重量に等しく、技術的にはさらに軽くすることも可能だった。そしてエネルギーの貯蔵率は実に96%に到達。ふたつのハイブリッドシステムで回生したエネルギーをほぼ完全にバッテリーにチャージできるようになったのだ。
この年、メルセデスのワークスチームであるメルセデスAMGペトロナスは全19戦中16勝を挙げる圧倒的な強さを誇り、このうち11戦で優勝したルイス・ハミルトンが王座を獲得。1950年にF1グランプリが創設されて以来、メルセデスは初めてチーム(正確にはマシンを製作した製造者=コンストラクター)のチャンピオンに輝いたのである(F1グランプリでコンストラクターズ選手権が創設されたのは1956年のこと)。いっぽうのハミルトンにとっては、マクラーレン・メルセデス在籍中の2008年に続いて2度目のタイトル獲得となった。

ここから数えてメルセデスAMGペトロナスはコンストラクターとドライバーの両選手権を6年連続で制したわけだが、栄枯盛衰の激しいF1グランプリでこれは驚異的な記録といえる。
その最大の原動力となったのは、メルセデスが誇るハイブリッド・テクノロジーだった。すでに述べたとおり、F1ではあらゆる技術が驚くべきスピードで進化している。それでも、F1パワーユニットのパフォーマンスにおいてメルセデスは常にトップの座を守ってきた。つまり、2014年に最高のF1パワーユニットを作り上げただけでなく、その後も休むことなくその開発に取り組んできたからこそ、6年連続でタイトルを勝ち取ることができたのだ。

ちなみに、今年タイトルを獲得したマシンはメルセデスAMG F1 W10 EQ Power+と呼ばれる。このうちEQはドライブトレインが電動化されたメルセデスに与えられる名称で、EQは電気自動車の量産モデル、EQ Powerはハイブリッドシステム搭載の量産モデル、EQ Power+はハイブリッドシステム搭載のF1マシンを指す。つまり、メルセデスは量産モデルとF1マシンを“EQ”というひとつの傘の下で開発しているのであり、その技術交流は相互に行なわれているといって間違いない。そして量産車開発で得られた莫大な知見がF1マシンの開発に生かされ、F1マシンで培った最先端技術とスピーディな開発力が量産車開発にも役立っているのである。
ところで、F1パワーユニットでもっとも重要な性能はおそらく最高出力だが、それとともに重視されるのがドライバビリティと呼ばれる特性。これは、アクセル操作に対してパワーユニットがいかに的確に反応し、ドライバーが期待するパワーをいかにレスポンスよく取り出せるかを示すもので、「エンジンの扱いやすさ」と言い換えることもできる。ただし、F1パワーユニットが生み出す出力はエンジンとモーターが生み出す力を合計したものとなるため、ふたつの動力源を緻密に連携させなければ優れたドライバビリティは実現できない。メルセデス・ベンツのF1パワーユニットはこの点でも傑出した評価を得ているが、それはEQ Powerを搭載したメルセデスの量産モデルにも共通していえること。聞けば、エンジンとモーターのパワーが滑らかにつながるよう、両者の制御系は想像を絶する長い時間をかけて開発されているらしい。この点でもメルセデスのF1マシンと量産モデルは非常によく似たキャラクターに仕上げられているのである。

いっぽう、どれほど優れたF1パワーユニットがあっても、それを積むマシンの性能が低ければ栄冠は手に入らない。言い換えれば、メルセデスAMGペトロナスが手がけるマシンもまた、これまでトップの地位を守り続けてきたのである。この点では、チーム代表のトト・ウォルフに加え、テクニカルディレクターを務めるジェイムズ・アリソン、テクニカル・アドバイザーのアルド・コスタらが果たした役割が大きかったといえる。
メルセデスAMGペトロナスのマシンは空力性能(エアロダイナミクス)が突出して優れていて、これが抜群のコーナリング性能を生み出すとともに、もともと効率の優れたメルセデス製F1パワーユニットの効率をさらに向上させることにつながったとされる。さらに2019年は、これまで数少ない弱点のひとつとされてきた「タイヤに優しいクルマ作り」にも着手。リアタイヤへの負担を減らすことでタイヤの寿命を伸ばし、これまで以上に安定したペースで走り続けることが可能になった。こうした様々な改良を加えたメルセデスAMG F1 W10 EQ Power+は、ライバルチームからも「まったく手がつけられない速さ」と賞賛されるパフォーマンスを手に入れたのである。
過去6シーズンで5度ドライバーズ・チャンピオンに輝いたルイス・ハミルトンの速さと強さ、そして今シーズンは一段と力をつけてきたチームメイトのバルテリ・ボッタスの手腕も忘れるわけにはいかない。とりわけ通算6度目のタイトルを勝ち取ったハミルトンは、あと1回チャンピオンを獲得すれば史上最多ワールドチャンピオン獲得の記録を持つミハエル・シューマッハに並ぶ。つまり、ハミルトンにとっても、彼と共にレースをするメルセデスAMGペトロナスにとっても、挑戦はこれからも続いていくのだ。