PROFILE
阿部裕介 / Yusuke Abe

photo: Arata Kobayashi
1989年東京生まれ。青山学院大学経営学部修了。学生時代からアジアやヨーロッパを旅し、写真家として活動する。ネパール大地震による被災地支援をはじめ、女性強制労働問題にフォーカスした作品『ライ麦畑に囲まれて』、パキスタン辺境に住む人々の生活を捉えた『清く美しく、そして強く』など世界各国で撮影を経験。日本での活動としては、家族写真を撮影するシリーズ『ある家族』を発表している。
初めて地元に住む人たちと深く関わって、
たくさん会話をした3日間の東北旅

僕がまだ大学在学中で相模原に住んでいたころ、東北で大きな地震が起きた。海に流される家屋や船の映像を呆然と見ていると「なにか力にならなければ」と居ても立っても居られなくなり、衝動的にクルマに乗り込んで、夢中で東北自動車道を駆け抜けた記憶がある。ただ、現地に着いても何をすれば良いのか分からず、ひたすら手を動かして作業を手伝うことしかできなかった。それ以来、写真家として活動するようになってからも、2015年のネパール地震や2016年の熊本地震など災害が起きる度にできる限り現地に向かってボランティア活動をしている。でも、シャッターを押すのではなく、大学生の頃と同じように、気がついたらシャベルで土を掘り起こしていることも多い。

photo : Arata Kobayashi
時折、知人に「阿部くんは、なぜ写真を撮らずにボランティアに行くの?」と聞かれることがある。確かに写真家であれば、今そこで起きている現状を写真に残して、多くの人に伝えるべきだ。でも、僕はいい写真を撮影したいわけじゃなくて「人」を撮りたいのだ。人と関わることこそが、自分のライフワークだと思っている。
今回、3日間東北の宮城県と福島県をEクラスのステーションワゴンで旅をした。今まで、震災のボランティア仲間やご飯を食べに立ち寄った飲食店の主人とはよく話をしていたが、今回、初めて地元に住む人たちと深く関わり、たくさん会話をすることができた。そして、写真も撮らせてもらった。目をキラキラさせて未来の夢を語る10代の漁師、移住する人たちと地元の人たちを繋げてコミュニティをつくる起業家やアーティスト、いちごをきっかけにいろんな家族を笑顔にする農家……。
この旅で出会った、笑顔が素敵な東北の人たちを写真と文で伝えていきたい。
「3K」のイメージを変えたい。
フィッシャーマン・ジャパンが目指す水産業の未来とは

東京から東北自動車道、そして常磐自動車へと乗り継ぎ約5時間。途中、Eクラスの車窓から太平洋の大海原を横目に見ながら、宮城県牡鹿郡にある女川港を目指した。女川町は、三陸復興国立公園地域に指定され、カキやホタテ、ギンザケなどの養殖漁業が盛んなのだそうだ。この港で、威勢のいい若い漁師たちに出会った。僕の乗っていたクルマを興味津々で覗き込み、とてもフレンドリーに笑顔で話しかけに来てくれた。よく見ると、カラフルで洒落た漁師ウェアを着ていて、旧来のような厳しい漁師のイメージとは少し違う。

その中心にいたのが、名産のギンザケ養殖を中心に水産加工品を手がける株式会社マルキンの代表・鈴木真悟さんだ。彼は、明治時代から続く漁師の家系に生まれ、おじいさんが1970年代に銀鮭養殖の事業化に成功したことで知られている、女川漁師の若きホープだ。地元の人からは“銀鮭王子”と呼ばれているらしい。もともと仙台でサラリーマンをしていた彼は、震災をきっかけに地元へ戻り、家業を継いだという。
鈴木さんは家業とは別に、女川や石巻など三陸で働く漁師や水産加工業、魚屋など同世代の仲間とともに「フィッシャーマン・ジャパン」(https://fishermanjapan.com/)という団体を2014年に立ち上げた。2024年までに三陸に多様な能力をもつ漁業関係者、通称「フィッシャーマン」を1000人増やすことをビジョンとして掲げて活動をしている。「僕たちは、漁師という仕事に誇りを持っていますが、どうしても『キツイ・汚い・危険』といった3Kのイメージが先行しがちです。それを『カッコいい・稼げる・革新的』の新しい3Kを体現する存在として、フィッシャーマンを増やしていきたいんです」
求人サイトにオシャレな漁師ウェア。水産業をアイデアとクリエティブの力で盛り上げる
全国28万人の就業者数が、20年で15万人まで減ったといわれる水産業を盛り上げるべく、フィッシャーマン・ジャパンでは、担い手の育成や漁業の魅力を発信するプロジェクトなど、様々な活動をしている。アパレルブランドとコラボしてオシャレな漁師ウェアを作ったり、東京駅構内の商業施設で直営のフィッシュサンド専門店をオープンしたりと、漁師や港の枠を超えて漁業をカッコよく見せていくPR活動は多岐にわたる。

提供:フィッシャーマン・ジャパン
鈴木さんは若手育成の活動についてこう語ってくれた。「特に力を入れているのが、『TRITON PROJECT』(https://job.fishermanjapan.com/)という、新世代のフィッシャーマンを育てる活動です。水産業専用の求人サイトを作って、漁師を募集したりしています。ハローワークには漁師の求人がないですしね(笑)。いくら漁師になりたいと思っても、どこで募集していて、どんなふうに働いて生活しているのか。そんなライフスタイルまで伝えることが大事だと思っています。最終的には、フィッシャーマン・ジャパンの必要がないほど自然に漁師が増えて、産業がもっと盛り上がっていけば最高ですよね」
次の世代を担う新米漁師が描く漁業のこれから

写真を撮っているときに、鈴木さんのとなりでニコニコ話をしている2人の青年が気になった。彼らは、「TRITON PROJECT」を通じて漁師の仕事に就くことになった、まさに次世代を担うフィッシャーマンだ。21歳で漁師歴3年目の冨樫翔くん(写真左)は、山形県出身。漁師を目指した理由を聞くと「もともと海が大好きで、何かを育てることも好きだったので、高校時代に宮城県の雄勝町にある職業体験施設でインターンを経験したことがきっかけでした。そこで今の親方に会って、働こうと決心したんです。ホヤやカキ、ギンザケを養殖しています。今は、林業にも挑戦してみたいんです。きれいな海でおいしい魚が育つためには、豊かな森が必要なんですよね。だから、10年後か20年後、いつか僕に子供ができたときに、少しでも美しい海を残していきたいなって」

1年目で19歳の佐藤遥斗くん(写真右)は、仙台市出身。海が好きで、中学生のころから漁師になると決意していた彼は、高校生の長期休みにフィッシャーマン・ジャパンへ直接電話。休みの度に今の親方のもとへ働きにいくようになった。「いきなり2日目に高級な寿司をおごってくれて、とてもうれしかったですね(笑)。でもそれより、漁業っていう仕事が本当に楽しいんです。親方も家族のように接してくれますし、職場も笑いが絶えなくて。最初の頃は周囲からいろいろ指摘を受けましたが、今では親も『誇りに思っている』と言ってくれます。僕の目標は、漁師という職業が、子供たちの憧れになることです。だから、自分が楽しく一生懸命働いて、しっかりお金を稼いで活躍する姿をもっともっと発信したいと思っています。実は僕、クルマが大好きで、今日阿部さんが乗ってきた真っ赤なEクラスがかっこいいな〜って見惚れちゃいました(笑)。特に、GLEはいつか乗りたい憧れなんです。早く愛車にできるように仕事頑張ろうって思いました!」

2人の深イイ話に「泣きそうになる、、、」と漏らすのは、フィッシャーマン・ジャパンでアートディレクターとして活動する安達日向子さん(写真)。若手漁師の面倒を見ている、お母さん的存在だ。実は彼女も千葉県出身で、もともと東北に住んでいたわけではない。震災のボランティアとしてこの地を訪れたことがきっかけで、フィッシャーマンを支えるため女川町の隣の石巻市に移住したのだそう。「翔くんや遥斗くんなど若い人材が増えてきて、以前は閉鎖的だった漁師さんたちの雰囲気も変わってきました。最初は地元以外の若い漁師が来ることに渋っていた親方も、頑張っている彼らの姿を見て『うちもあんな子がほしい!』と言って、求人が増えたりしているんです」と嬉しそうに語ってくれた。
1日目は、女川港を背景に若いフィッシャーマンたちの笑顔を撮影した。鈴木さん、翔くん、遥斗くん、安達さんの姿を見ていると、同僚や先輩後輩でもない絆を感じた。そこから見えてきたものは、“ひとつの家族のかたち”なのだと思う。

一体この若者たちは、これから漁業をどういうふうに変えていくのだろう。そして、どんな明るい未来が待っているのだろう。僕はそれが本当に楽しみだし、何かあれば手伝っていきたい。キレイな青い女川港の海に映えるヒヤシンスレッドのEワゴンに乗り込み、後ろ髪引かれながら港を後にした。
ABOUT CAR
E 200 STATIONWAGON
クルマの常識をアップデートし続け、世界が指標とするEクラス。ステーションワゴンはEクラスに積載性をプラスした派生車種のひとつ。よりダイナミックかつスポーティなエクステリアの刷新、MBUXの新機能であるARナビゲーションに加え、進化したステアリングホイールが標準装備されている。