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A Tribute to Sir Stirling Moss

サー・スターリング・モスに捧げる。メルセデス・ベンツと歩んだ“偉大なる軌跡”

words: Takeshi Sato

2020年4月12日に90歳で逝去した、無冠の帝王サー・スターリング・モス。メルセデス・ベンツと強い絆で結ばれた、彼の功績を振り返る。

輝かしい戦績を残した黄金の1955年

サー・スターリング・モス

メルセデス・ベンツ往年のレーシングマシン、メルセデス・ベンツ 300 SLRのハンドルを握るサー・スターリング・モス

2020年4月12日、伝説的なレーシングドライバー、サー・スターリング・モスが自宅のあるロンドンで息を引き取った。

メルセデスAMGペトロナスのドライバーであるルイス・ハミルトンは、モスと並んで写った写真をインスタグラムに投稿し、「彼と特別な時間を過ごすことができたことを感謝したい」と記した。

2015年にイタリアで開催されたメルセデス・ベンツのイベントにて、モスとハミルトンによる歴史的なモデルでのドライブが実現
 
 
 

そして、この写真でモスとハミルトンとともに写っているのがメルセデス・ベンツの往年のレーシングマシン、W 196 RストリームラインとW 196 R だった。これは、2015年にイタリアのモンツァ・サーキットで歴史的なモデルをドライブしたときのひとコマ。ふたりはマシンをはさんで満面の笑みを浮かべている。そう、モスとハミルトンには、メルセデス・ベンツの歴史をさらに輝かしいものにしたという共通点があるのだ。

サー・スターリング・モス

黄金の1955年、イギリスグランプリでF1初勝利をあげたモス

モスのレーシングキャリアが最も輝いたのは、1955年だった。彼はこの年、イタリアのミッレミリアというロードレースで二度と打ち破られることがない大記録を樹立している。

ミッレミリアは「Mille(1,000)Miglia(マイル)」と、読んで字のごとく1,000マイル(約1,600km)を3日間で駆け抜ける公道レース。

筆者は数年前、クラシックカーラリーとして開催されている現代版ミッレミリアに、助手席のコ・ドライバーとして参加したことがある。筆者が経験した区間が山の中だったこともあるが、箱根のワインディングロードが延々と続くようなタフなコースで、ここを3日間も全開でかっ飛ばした往年のドライバーの技術と体力、そして精神力には感嘆するほかなかった。パワーステアリングもABSもなかった当時、ドライバーはマシンと格闘するように走っていたはずだ。

1955年4月30日から5月1日まで開催されたミッレミリア
1955年のミッレミリアにて、モスはコ・ドライバーのデニス・ジェンキンソン(左)と歴史的な大勝利を収めた
1955年のF1モナコグランプリにて、レース前に名設計者のルドルフ・ウーレンハウト(左)と談笑するモス
1955年7月16日、F1イギリスグランプリで撮影されたメルセデス・ベンツ レーシーングチームのショット

モスがステアリングホイールを握ったメルセデス・ベンツ300SLRは排気量3ℓの直列8気筒エンジンを搭載。最高出力300ps、最高速度300km/hを誇ったというから、現代の基準でもスーパースポーツカーである。モスはこのモンスターをねじ伏せるように1,600kmを10時間7分48秒で走破。平均速度を算出すれば157km/h+αとなるから恐れ入る。

そしてこの記録は、1957年にミッレミリアが中止されるまで破られることはなかった。したがってモスのタイムは、永遠に破られることのない大記録なのだ。

この年、モスは北アイルランドで行われたツーリスト・トロフィーやシチリア島のタルガフローリアといった世界的なレースを300SLRで制している。さらに彼はメルセデス・ベンツW196を駆り、F1イギリスGPで優勝。年間ランキングでもチームメイトのファン・マニュエル・ファンジオに次ぐ2位になっている。

イタリアはもちろんヨーロッパ全土が熱狂するミッレミリアなどのスポーツカーレースで金字塔を打ち立て、F1でも表彰台の真ん中に立った1955年。モスは自身の才能とメルセデス・ベンツの技術力を全世界に向けてアピールしたのだ。

レーシングドライバーと自動車メーカーの最も幸福な関係

サー・スターリング・モス

2015年のイベントにて、モスと同じくブランドアンバサダーであるスージー・ウォルフ(左)とハンス・ヘルマン(右)

こうしてモスとメルセデス・ベンツには特別な関係が生まれた。現役引退後もメルセデス・ベンツのブランドアンバサダーとしてイベントに参加するなど、いつの時代も強い絆で結ばれていた。

サー・スターリング・モス

2009年4月に初公開された、世界限定75台のメルセデス・ベンツSLR スターリング・モス

2009年にはモスの功績を讃えて、メルセデス・ベンツSLRスターリング・モスというモデルが75台限定で販売された。この特別なモデルのモチーフとなったのが1955年型の300SLR。ルーフを持たないオープンモデルで、助手席を取り外して専用カバーで覆うこともできるようになっているなど、往年のレーシングマシンへのオマージュを見て取ることができた。

また、2019年9月17日のモスの90歳の誕生日には、メルセデス・ベンツは偉大なる“シルバー・アロー・ナイト”に向けて、心のこもった祝辞を贈っている。亡くなる直前まで、メルセデス・ベンツはモスに感謝の気持ちを示し続けたのだ。

さまざまなレーシングドライバーと自動車会社の関係を振り返っても、これほど幸福な形はなかなかお目にかかれない。

サー・スターリング・モスの栄光

サー・スターリング・モスを紹介する際に、枕詞のように用いられるのが「無冠の帝王」という称号だ。これは、1951年から11シーズンにわたってF1に参戦したモスが、年間ランキング2位は何度か経験しながら、ついにワールドチャンピオンの座に就くことができなかったことに由来する。

では、F1のワールドチャンピオンにならなかったモスが、「ミスター・モーターレーシング」や「スピードの化身」、あるいは「モータースポーツのアイコン」と呼ばれるのはなぜだろうか?ヒントは、イギリス人の元F1ドライバーで、ワールドチャンピオンにも輝いた経験もあるジェンソン・バトンが、モスの死を悼んで投稿したインスタグラムにある。バトンは、こう記している。

「どんなときも限界までプッシュしたあなたの走りを忘れない」

そう、どんなレース展開でも、どんなマシンでも、最後まであきらめずにファイティングスピリットあふれる走りを見せたモスは、記録より記憶に残るドライバーだったのだ。だから、たとえチャンピオンの座に就くことがなくても、多くの人から愛されたのだ。1950年代から60年代にかけて、イギリスではスピード違反を犯したドライバーに対して、警官が「お前はスターリンス・モスのつもりか?」と問いかけるのが常套句になっていたというが、そんなエピソードからもモスの走りがいかに偉大だったかが伺える。

モータースポーツ界のみならず、国民的、全世界的なスターだったサー・スターリング・モス。安らかに眠ることを祈りたい。

スターリング・モス
Stirling Moss

スターリング・モス

1929年、ロンドンに生まれる。両親ともにアマチュアドライバーで、モスの妹もラリーで活躍したモータースポーツ一家。15歳で免許を取得、歯科医だった父の援助もあって18歳にレースにデビューする。自費でのレースを続けたが、1955年にメルセデス・ベンツのワークスチームに誘われたのを機に才能を開花、スポーツカーレースやF1で活躍する。レース中の事故の影響で32歳の若さで惜しまれながら引退。その後もTVコメンテーターやアドバイザーとしてモータースポーツの発展に貢献した。その功績から1959年に大英帝国勲章(OBE)を叙任。2000年にはナイトの称号を授与されたことから、サー・スターリング・モスと呼ばれる。

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