
古くから栄える街、神田須田町
前・中編に引き続き、東京で暮らすことや住まうことをテーマにめぐる旅も最後となります。今回は今現在私たちが暮らしていくために抱える、大きな課題であるエネルギー問題に対応する建物づくりや、まちづくりに取り組んでいらっしゃる竹内昌義さんを訪ねて、神田にある万世橋駅跡を活用して作られた「マーチエキュート神田万世橋」で待ち合わせです。
神田須田町、神田川沿いにあるその施設の周りは古くから繁華街として栄えた場所で、今も変わらずたくさんの飲食店や商店が立ち並んでいます、その中には江戸時代や明治、大正から続くといった老舗のお店もチラホラとあり、東京観光に名前が挙げられる地域でもあります。
そんな華やかな街を進むのは、前回の旅と同様メルセデスEQ。CO2を排出しない100%電気自動車で、シリーズの中でもコンパクトSUVモデルのEQA 250、カラーはマウンテングレーです。メルセデスEQシリーズならではの、滑らかで振動をほぼ感じることのない静かな走りは、まるで異次元の乗り心地で、アクセル操作に瞬時に反応するレスポンスの良さは、細やかでスムーズなコーナリングを見せてくれます。EQA 250はシリーズの中でもコンパクトな車体なので、人や車の通りが多い賑やかな街の中も安心して走れ、コンパクトとはいえ、ゆったりとした車内空間とラゲッジなので、移動中に窮屈さを感じることもありません。
また、排気ガスなどの匂いもなく、騒音も少ないので、人や飲食店などが多い場所でも安心して走れることも魅力の一つです。
さて、ドライブを楽しんでいたら目的地の「マーチエキュート神田万世橋」に到着です。
100年以上前に建てられた駅
この「マーチエキュート神田万世橋」はその名の通り、旧国鉄中央線の廃止駅である万世橋駅の跡を活用して造られた商業施設で、赤いレンガの高架を利用した趣のある施設です。
万世橋駅は1912年に作られ、建築当初は東京駅と同様の辰野金吾さんの設計による豪華な駅舎で、駅前には東京市電(路面電車)の駅があり、乗り換えのターミナル駅としても栄えていたのだそうです。しかし交通網の発達や利用客の増加に伴い、その後建設された神田駅や東京駅、秋葉原駅などの登場による利用客の減少に加え、関東大震災による駅舎焼失などもあり1943年には駅としての役目を終えることになります。
その後は一部を交通博物館として利用されていましたが、施設老朽化から同博物館が埼玉県大宮へ移転となり、この場所を明け渡すことになります。
そんな歴史ある建築物を利用して作られた、「マーチエキュート神田万世橋」、今ではなかなか作られることがない、赤い煉瓦の壁の前に、竹内昌義さんが笑顔で待っていてくださいました。
歴史が詰まった場所に新しい命を
煉瓦の高架下にはいくつものお店が立ち並び、歴史の詰まった趣ある建物を効果的に演出されています。
「まずは中へ入ってみますか」と言われて建物の中へと入ります。
高架下のアーチが印象的で、高架下に長く連なるトンネルのような通路とその傍らには、区画ごとに物販のお店や飲食店が並びます。エントランス近くの広い場所はワーキングスペースになっていて、オフィスもたくさんあるこの場所ならではの活用方法だなと感じました。
神田川沿いはオープンデッキになっていて夜になりライトアップされると、グッと雰囲気が変わります。
施設中央あたりにはライブラリーがあり、万世橋駅の歴史を伝えるための場所となっています。
旧駅舎と周辺を復元したジオラマがあり、当時の様子を感じることができます。
竹内昌義さんはこの辺りの歴史や万世橋駅が辿った経緯など、ゆっくり話してくださいました。
この場所の良いところ、魅力、刻んできた歴史を残しながら、今この場を行き交う人たちにとって、使い心地の良い改修をしたい。その思いで取り組んだプロジェクトなのだそうです。
このアーチを見たときに、ここを効果的に利用したいと思ったそうで、そのための苦労もあったのだとか、入口の自動扉もカーブしていたり、実は一見気づかない細工がちりばめられています。
室外機も見えないように上手く細工されていて、歩きながらこれが室外機ですよと言われるまで分かりませんでした。
上の階にはプラットホームの跡がありますよ、と言われ今度は上の階へ上がります。
階段は建設当初のままのもので、階段も壁のタイルも古く今の建築では見られないものです。
プラットホームに上がると、そこはガラス張りになっていて、コーヒーを飲みながら時折通過する中央線の車体を間近で見ながら、のんびり休憩することができます。
通過する電車を見ながら、ふと、この場所は100年前の人々が、さまざまな思いを抱えて行き交った場所なのだなと思うと、なんだか不思議な気持ちになります。
歴史や思いが詰まった建物の良い部分に新たな活用方法を見つけて再構築する。
何か血の通った建物という印象を与える、企画設計を行う竹内昌義さんだからこそ、未来への提案に説得力があるのかなと思いながら、どのようにこの仕事についたのか、ゆっくりお話を伺うことにしました。
オルタネイティブな流れを進む
ゆっくりお話しするなら、デッキへ行きましょうと言われて、神田川沿いにあるデッキへと移動します。
川の風が心地良く時間がゆっくり流れているようです。
竹内昌義さんは東京工業大学で建築を学び卒業後1991年に独立、1995年に同年代の建築士5人(現在は4人)と共に「みかんぐみ」という設計事務所を立ち上げ共同代表を務めています。2001年からは東北芸術工科大学の教授として教鞭をとっていて、その後2014年からは、前述したエネルギーと建築、まちづくりを考える「エネルギーまちづくり社」を立ち上げ代表を務めています。
30代の頃仲間と立ち上げた「みかんぐみ」は、当時の建築業界の中でも若手で少し本流とは違う面白いことを取り入れ活動していたそうです。その一つが「団地再生計画/みかんぐみのリノベーションカタログ」という著書で、当時の業界では話題になったのだとか。その頃はまだリノベーションという概念があまり浸透していなく、六本木ヒルズなどの大きなビルの建設が立て続けに行われていた時期でもあります。そんな頃にあえて、高度成長期の遺産のような団地に目をつけ、そこに残された魅力を引き出しリノベーションしていくことに着目したということ自体が、それまでの“スクラップアンドビルド”の流れに一石を投じることになったのかもしれません。また、誰がトップということもなくチームとして動きチームとして考え、さまざまな案をぶつけ合って作り上げていくスタイルも、クライアントから信頼を得る要因となっていったのだそうです。
そんなふうに「みかんぐみ」が注目された頃、ヨーロッパにリノベーションの事例などを視察にメンバーと訪れ、リノベーションだけでなくエコハウス、ドイツ発の省エネルギー住宅であるパッシブハウスなどの建物に実際にふれ、学生の時に勉強していたエコハウスという建築分野に少しずつ活動の場を広げていくことになります。
その後、東北芸術工芸大学での授業から派生して広がった、山形エコタウン前明石や紫波町オガールタウンなどの監修も手掛けます。山形エコタウンが完成した直後に東日本大震災が起こり、より一層エネルギーのことを深刻に考えていくようになり、未来の生活のために建築士としてできることはと考え、同じ考えを持つメンバーと共に「エネルギーまちづくり社」を立ち上げたのだそうです。
この「マーチエキュート神田万世橋」は「みかんぐみ」として携わったお仕事で、有効的なリノベーションの建築物です。そこで今度は気になっているエコハウスのことをもっと詳しくということで、港区芝にある「エネルギーまちづくり社」のオフィスに場所を移してお話の続きを伺うことにしました。
「エネルギーまちづくり社」を設立
港区芝にあるオフィスに入り、今度は「エネルギーまちづくり社」のお話を伺うことにしたのですが、まずは脱炭素社会のまちづくりの説明をと、ホワイトボードを使って私たちに説明してくださいました。
まるで講義ですね、と和やかに、地域で循環しエネルギーゼロの街づくりのスタイルを教えてくださいました。
地域で製材された木材で断熱を施した家を作り、製材から出るチップなどを暖炉で使用するという循環している街の姿です。残念ながら、このような街づくりの概念は、欧米諸国に比べて日本はかなり遅れをとっているのが現実です。
竹内昌義さんは「みかんぐみ」の活動や大学での講義、そして震災であらわになったエネルギーの問題などを経て、自分の最も力を発揮できるフィールドで、今私たちが抱える問題を考えていき、提案できる活動をしていきたいと考え「エネルギーまちづくり社」を立ち上げたのだそうです。
「エネルギーまちづくり社」では、断熱の家作りはもちろん、公共施設や、地域で取り入れていくときの企画、提案、建築、ブランディングまでも行っています。
また、広く啓蒙のことも考えていて定期的に、体験できるワークショップや、オンライン講座「エネルギーまちづくり塾」も行っています。実は私もこのオンライン講座を時間があるときは受けていて、生活するうえでエネルギーを使わないという選択が私たちにできる方法を教わっています。詳しく知りたい方はぜひ受けてみてください。
以前諏訪の旅で訪れたリビルディングセンタージャパンの東野さんも竹内昌義さんから学んでいて、彼の自宅は断熱が施された建築でした。そこでの体感は私たちも忘れることができないほどの快適さで、自宅のどの場所もエアコンなど使わない状態で、同じ温度、例えるなら、ちょうどゴールデンウィークの時期ぐらいの気温です。この概念が今の日本の街づくりに定着すれば、エネルギーだけでなく、心身の病気の予防、改善にも大きな影響を及ぼすことは研究でも発表されています。
何よりもエネルギーのほとんどを輸入に頼っている私たちは、ここ数年起こっている感染症、紛争などからの輸入不足や、価格高騰の不安から解放されるかもしれません。
実は今年6月に「建築物省エネ法」の改正法が成立されましたが、この成立のために竹内昌義さんは長く活動をされていました。
建築士というフィールドで、そのフィールドからはみ出してより良い暮らしのために活動している竹内昌義さん。周りの声を聞き、まとめ上げ、俯瞰して街づくりを眺める目線があるからこそ、より豊かに暮らす未来の生活のことが見えているのかもしれません。
若い頃は人と違うことしたかったから、と笑いながら語る姿は、歳を重ねても柔軟に自らできることを楽しんでいる少年のようです。
私たちが今までないがしろにしてきた、豊かに快適に暮らすこととは一体どういうことなのかを、ゆっくり考えていきたいなと思いながらオフィスを後にしました。
東京の充電スポット
EQ House

「EQと暮らす家」をテーマに未来の姿を体験できる施設です。
〒106-0032 東京都港区六本木7-3-10
https://www.mercedesme.jp/eqhouse/
*詳しい営業時間はWEBサイトにてご確認ください。
施設データ
株式会社エネルギーまちづくり社
みかんぐみ
<urakuプロフィール>
http://urakutokyo.com/
ファッション誌や広告などで活躍中のモデル田沢美亜(たざわみあ)とアパレルブランドのプレスやディレクションを務める石崎由子(いしざきゆうこ)の2人で立ち上げたユニット。
日本各地に残るぬくもりある手仕事や確かな技、それら日本人が大切にしてきた美意識や心を現代の生活や次世代に残し伝えて行く事を目的にしています。またそこから海外への発信、架け橋になるようにと活動を続けています。また梅仕事など日本の食文化を伝えるため栽培から生産まで行い、その際に出る剪定枝を使用した草木染め事業もスタートするなど、手仕事と循環をテーマにしたライフスタイル提案も行っています。
<Special Thanks>
MARGARET HOWELL:Tops、Pants
ABOUT CAR
EQA 250
メルセデス・ベンツの電気自動車ブランド、メルセデスEQのコンパクトSUVモデル。静粛性が高く、室内空間はフューチャリスティック&ラグジュアリー。パワフルなモーターを搭載しているので立ち上がりもスムーズ。新しいクルマの楽しみ方を教えてくれる一台です。