
もう一つのアントニン・レーモンド建築
前編に引き続き、高崎市の近代発展に貢献し、群馬地域文化の先覚者と称された井上房一郎さんの面影を辿るため訪れたのは、高崎市にある「群馬音楽センター」です。こちらで「群馬交響楽団」の常務理事兼音楽主幹の渡会裕之(わたらいひろゆき)さんを訪ねます。
この「群馬音楽センター」は前回訪ねた「旧井上房一郎邸」と同じく、アントニン・レーモンド建築の建物で、井上房一郎さんの思いを受け建設された美しいデザインの建物です。
「群馬音楽センター」は高崎城址公園のすぐ隣にあり、「旧井上房一郎邸」から車で3分ほどの場所にあります。
高崎の街並みを眺めながら走る車は、前回に引き続きメルセデスが未来の地球のことを考えて発表した、電気自動車のEQC 400 4MATIC、カラーはヒヤシンスレッドです。
CO2を排出しない100%の電気自動車で、従来の車とは全く違う、異次元の走りが心地よい車です。
長距離はもちろんですが、街の中のような細やかな道も、滑らかに走りコーナーリングも快適です。高崎城址公園の隣の高崎市役所にちょうど急速充電スポットがあるようなので、帰りに充電して行こうかなと考えながら運転していたら目的地の「群馬音楽センター」へ到着です。
匠の技が生かされた美しい建築
1961年に完成し、開館した「群馬音楽センター」は、前編でもご紹介しましたが、井上房一郎さんと親交が深く、彼の思いや哲学を理解していたアントニン・レーモンドによって設計・建築されました。
建物の前面がガラス張りで、独特な外観が美しいその建物は、地下1階、地上2階で構成され1932席あるホールはコンサートホールとしてだけではなく、様々な式典などにも利用され、広く高崎の市民に愛されています。
到着すると、1階のロビーで渡会裕之さんが私たちを迎えてくださいました。
大柄で優しい笑顔が素敵な渡会裕之さんは、もともとバイオリン奏者だったというだけあって、優しさの中に凛とした一本筋が通った強さを持っている紳士といった印象です。
まずは「群馬音楽センター」の中を案内していただきながら、この音楽ホールのこと、交響楽団のことを順番に伺っていくことにしました。
ホールに入り、まず目に入ってきたのは、曲線が美しい階段です。
この階段は驚くことに支える柱がなく、まるで浮かぶようにロビーの真ん中に存在しています。
実は前回お話を伺った塚越館長にも、この階段の構造と技術の素晴らしさを伺っていました。
コンクリートで作られた階段はとても滑らかで優美な曲線を見せています。デザイン設計ももちろんですがこの曲線を作り上げている高崎(日本)の職人の技術が本当に素晴らしいのだそうです。
階段を上ると高い天井の上までガラス張りになっていて、明るく広々とした空間が広がります。
大きなガラスが作れなかったこの時代は、窓枠に1枚1枚組み込まれていてそのグリッドがまた美しい造形を生み出しています。
そのガラス張りのおかげで、外からも見えるホール入り口の壁に描かれた壁画は、アントニン・レーモンドの妻であり、インテリアデザイナーでもあったノエミ・レーモンドの作品とのこと、ここでも夫婦の共同クリエーションが楽しめます。
市民に愛された交響楽団
館内をぐるりと周り、再び1階ロビーに戻り、事務局隣にあるアントニン・レーモンドギャラリーを少し見学させていただきました。
「群馬音楽センター」の模型や、前編で訪れた「旧井上房一郎邸」の写真や建築の説明、本人の写真などが展示されています。ノエミ・レーモンドと仲むつまじくフレームに納められた写真が、なんとも優しく温かい印象でした。
この素晴らしいホールを建築するのに力を注いだのはもちろん井上房一郎さんですが、彼の資金的な援助に加え、高崎の市民、ひとりひとりの寄付で「群馬音楽センター」は完成しました。
それはひとえにここ高崎において、少なくとも1950年代ごろには「群馬交響楽団」が愛される存在になっていたからなのだと思います。
「群馬音楽センター」は開館されて今年で60年、「群馬交響楽団」はその前身となる「高崎市民オーケストラ」発足より76年を迎えます。
地方の交響楽団としてはかなり古い歴史をもち、発足76年ということは、終戦後間もない頃に、この街で音楽を奏で始めたということになります。
「文化国家建設」という考え
高崎市を中心に群馬県の文化興進に力を注いだ井上房一郎さんは、「文化国家建設」を目標にオーケストラを作ろうと考え、戦前に詩人萩原朔太郎が始めた「上毛マンドリン倶楽部」に所属していた丸山勝廣さんに託します。
終戦したばかりの1945年の11月に、丸山勝廣さんをはじめとする戦争を潜り抜けた若き音楽家たちが集い、井上房一郎さんの思いを受け、自分たちが立ち上がることが復興につながると信じてのことでした。
とはいえ、まだまだ物資はなく、照明もなく蝋燭で過ごしたり、暖をとる燃料もなかったりする中、それぞれの熱い思いのみが原動力でした。それは今の私たちの感覚では到底計り知ることができない、強く熱い思いだったのだろうと思います。戦争という大きな悲劇から必死で這い上がり、戦後日本の復興をはたしてくれた、彼らの大きな力を感じました。
演奏するホールももちろんないので、学校の講堂や食堂など様々な場所で演奏が行われました。
楽器も演奏者も限られていて、足りない楽器の代わりをピアノで全てカバーするなど様々な工夫をしながらの演奏でした。各学校への交渉や調整は井上房一郎さんのバックアップのもと、丸山勝廣さんが奔走したのだそうです。
そんな創生期の「高崎市民オーケストラ」の様々な苦労やエピソードは「ここに泉あり」という映画で窺い知ることができます。ぜひご覧いただけたらと思います。
やがて高崎市だけでなく群馬県内に残るホールや、学校の講堂などで定期的に演奏するようになり、1947年には高崎市、前橋市にて群馬音楽祭が開催されるまでになります。
その後、当時の高崎市長、住谷啓三郎さんと丸山勝廣さんが中心となって文化庁に掛け合い、1956年に全国で初となる音楽モデル県として指定され、そのことをきっかけに県からも支援を受けられるようになり、名前も「群馬交響楽団」と改め、群馬県民に愛される存在へと成長していきました。
今でも群馬県の学生は学校のカリキュラムの中で移動音楽教室として「群馬交響楽団」の演奏を義務教育中に3回は聴くことができるのだそうです。幼い頃から上質な音楽に触れるという文化的感覚の底辺を形作る教育は、井上房一郎さんの目指すところだったのかもしれません。
今回お話を伺った渡会裕之さんも同席してくださった事務局の方も、子供の頃から当たり前のように音楽に触れていたのだそうです。
そんな話をホールの中を案内しながらゆっくりとしてくださいました。
ホールには階層がなく全て地続きの座席になっていて、大きく遠くまで見渡せて、広々とした印象を与えてくれます。座席数以上の規模の大きさを感じます。
特別に舞台にも上がらせていただきましたが、舞台からも客席全てが見渡せ、ボルドー色のシートが美しい空間でした。高崎市民と井上房一郎さんや「群馬交響楽団」の思いをアントニン・レーモンドが見事に形にした素晴らしい空間だと感じました。
引き継がれる芸術への思い
ホールを出て、2階のロビーでもう少しゆっくりお話を伺うことにしました。
天井が高くガラス張りで、座っているだけで心が軽くなるような感覚を覚える空間で、渡会裕之さんのお話は続きます。
前述しましたが、渡会裕之さんは現在の役職の前、もともとはバイオリン奏者でした。
4歳の頃からバイオリンを習い始めていて小学生の頃あたりから、なんとなく将来バイオリン奏者になれたらなと考えていたそうです。
父親が新聞社に勤めていた関係で転勤になり、中学生の頃に、群馬県の中之条という街に引っ越してきたのだそうです。
温泉地として緑豊かな中之条町ですが、バイオリン教育を続ける場所はなかったようで、なんとかバイオリン教育をと父親が情報を集め、高崎市で初代コンサートマスターだった風岡裕さんが教室を開いていることを知り、通うこととなります。
その後、東京の音楽大学を卒業し、そのタイミングで恩師である風岡裕さんの薦めで、「群馬交響楽団」に入団されたのだそうです。
群馬県に引っ越してきてから、中学生の時と、群馬県内の学校に通っていた高校生の時に、移動音楽教室として「群馬交響楽団」の演奏を聞いたことがあった渡会裕之さんは、今度は自らが子供たちへ演奏を聞かせることになります。実際、ご自身の母校へも演奏のため何度も行かれているそうで、本当に不思議な気持ちですと、おっしゃっていました。
渡会裕之さんご自身も、ここ高崎に交響楽団があったからこそ、迷うことなくバイオリンを学び続けることができ、その後交響楽団に入り、自らが伝える側へと移っていきます。音楽を通したこのバトンこそ井上房一郎さんと丸山勝廣さんの思いそのものなのかもしれません。
その思いは高崎芸術劇場へ
様々な思いが詰まりアントニン・レーモンドが設計した美しい「群馬音楽センター」ですが、建設から半世紀を超えると老朽化が目立ち始めます。また音響の設備も当時としては最新でしたが技術の進歩で今では古いものになっていってしまいました。
そこで、高崎市はその精神と、思想、歴史を継承しながらも、さらに進化させたホールを建設することを計画し、2019年9月に「高崎芸術劇場」を開館しました。
お話が一区切りついたところで、新しいホール「高崎芸術劇場」もご案内していただけるとのことで、早速伺うことにしました。
「高崎芸術劇場」は、“創造と発信。進化と継承”のコンセプトのもとに、は最新の音響設備や、様々な芸術に対応できる設備とともに、高齢化社会に対応できるような配慮なども盛り込んだ施設となっています。
2027席の大劇場、とスタジオシアター、音楽ホール、9つのスタジオに加え、建物内にはカフェやレストランとその他に多目的空間を設け、広く市民が使用できる空間作りがされていました。高い天井や、ガラス張りの明るい空間作り、ホールの座席のボルドー色使いなど、「群馬音楽センター」の面影も継承しつつ、未来の文化向上に貢献できる、そんな場所となっているのだなと感じました。
「群馬交響楽団」の本拠地こそ新しいホールに譲りましたが、「群馬音楽センター」は今でも現役で活用されています。市民のイベントや、講演、コンサートなどで活用されるだけでなく、市民のシンボルとなって今でも広く愛され続けているのだそうです。
豊かな国造りに必要なもの
高崎市は群馬県内で大きな都市と言っても人口37万人で、政令指定都市ではありません。
そんな地方都市でありながら、これだけの交響楽団と、「群馬音楽センター」と「高崎芸術劇場」のような施設にも恵まれています。渡会裕之さんは“ホールは1つの楽器のようなものです”とおっしゃっていましたが、そうだとすると「群馬交響楽団」は他にはない楽器を2個も所有していることになります。また2019年からはあの指揮者の小林研一郎さんがミュージックアドバイザーとして就任されているとのことで、さらに交響楽団としてパワーアップしていきそうです。
ここまで発展してきたのは、戦後間もない頃、未来の日本のことを思い、地元高崎のことを思い、文化、芸術、哲学、思想を根づかせようと奔走した、井上房一郎さんと丸山勝廣さんの努力が高崎市民ひとりひとりに伝わっていったからだと思います。
子供の頃から音楽に触れることができ、交響楽団が身近で、気軽に聞きに行こうと思えるような土壌がここ高崎にはあります。その上その感覚を継承していこうという思いが市民の心の中に当たり前のように存在しているように感じます。
実際、その功績が認められてか、今年9月に「群馬交響楽団」は地域文化の発展に貢献したとしてサントリー地域文化賞を受賞されました。きっと井上房一郎さんも喜んでくださっているのかなと思います。
私たちは井上房一郎さんが大切にしていた本当に豊かな国になるには何が必要で、何を大切にしなければいけないのか、ということを2021年の今、改めて考えなければいけないのではないかなと思いながら、「群馬音楽センター」の美しいホールでの時間を思い出していました。
高崎の充電スポット
高崎市役所本庁舎

群馬県高崎市高松町34-3
利用可能時間8:30〜17:15(利用受付は16:45まで)
受付:平日027-321-1251(環境政策課窓口)
土日祝 027-321-1111(代表・警備員室)
*他にも充電スポットは多数あります。
店舗データ
群馬音楽センター

〒370-0829 群馬県高崎市高松町28-2
TEL:027-322-4527
http://www.takasaki-foundation.or.jp/center/
高崎芸術劇場
〒370-0841 群馬県高崎市栄町9-1
TEL:027-321-7300
http://takasaki-foundation.or.jp/theatre/
<urakuプロフィール> http://urakutokyo.com/
ファッション誌や広告などで活躍中のモデル田沢美亜(たざわみあ)とプレスやディレクションを務める石崎由子(いしざきゆうこ)2人で立ち上げたユニット。
日本各地に残るぬくもりある手仕事や確かな技、それら日本人が大切にしてきた美意識や心を現代の生活や次世代に残し伝えて行く事を目的にしています。またそこから海外への発信、架け橋になるようにと活動を続けています。
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